
令和源氏物語 宇治の恋華 第二百十八話
第二百十八話 小野(十二)
少将の尼に見つけられてしまった浮舟はやはり不安を拭い去れず、どこか安全なところはないものか、と大尼君の寝所へ潜り込みました。
老人の夜は早く、大尼君の他に二人の老女がすでに寝入っております。
地を這うような大鼾をかくのが不気味でまるで人ではないように感じられる。
浮舟はこの人たちが実は人の皮を被った妖で、このまま食べられてしまうのではないか、と暗がりで震えてとても眠ることなどできません。
川に身を投げたはずが離れた宇治院にて発見されたのを鬼とも狐の仕業とも言われましたが、気を失っていたが為に恐怖はありませんでした。
それよりも懐かしい影に守られていたような安心感があったものです。
今は老いさらばえた尼たちが異形の者に思われて、惜しくはないと感じる命ながらに慄くのを否めないのです。
このようなわたくしになんの生き残った意味などあろう。
死も与えられぬ罪深さということか。
目覚めてからは常に懺悔に苛まれて日々を送ってきた浮舟でありますが、この宵はいつにも増して辛くて我が身を情けないと思わずにはいられません。
女童のこもきは色気づく年頃ですので、普段見慣れぬ貴族の殿方が恋に身を焦がし、物思う風情ありげなのをうっとりと眺めて戻って来ないのです。
このような俗世にまみれた尼君たちに入り交じり、蓮っ葉な女房や女童がいる庵では仏道など形ばかりのものと思われてなりません。
こうなればどうにかしてでも出家を果たさねば、と思い詰める浮舟なのでした。
長く重苦しい宵を過ごして、鶏の鳴き声で取りあえずの危機が去ったことに安堵しましたが、一睡も出来なかった身は気怠く熱を帯びております。
加減が悪そうに臥す浮舟の異常に気付かぬ大尼君たちは粥などを勧めても手をつけようとしない姫君をまた我儘かと渋い顔をしております。
「少し体調がよろしくありませんので、みなさんで召し上がってくださいまし」
「そうでございますか」
と素っ気なく、遠慮もせずに粥を啜ってぼりぼりと音を立てながら漬物を食むのも見苦しいもの。
浮舟はいずれは己もこのように老いてゆくのか、と虚しく感じるのです。
そんな大尼君の御座所に息子の僧都が本日いらっしゃるという報せが入ったのを、まさに僥倖と顔を輝かせたのは浮舟その人なのでした。
「大尼君さま、わたくしはどうも永らえることが出来ぬように思われますので、僧都さまの手で髪を下していただきとうございます。どうかそのようにお伝えいただけませんでしょうか」
大尼君は耄碌してよくも考えられませんので、若く美しい姫君の姿を変えるのを惜しむなどもありません。只こくりと頷かれました。
「御仏に帰依されるというのはまことに尊い御志です。では、そのように伝えておきましょう」
浮舟はほっと胸を撫で下すも、いざ世を捨てる時となるとさすがに心が揺れ動かされるのです。
自分の御座所に戻ると長く豊かな髪を振り返りました。
もしも実の母君さまがわたくしがこの世にあることを知ったとしても、もうこの姿で会うことは二度とない。
この世との決別を切望していながら不孝を詫びたいという気持ちに矛盾はありませんでしょう。どのように時と場所を隔てても親子の縁はしっかりと結ばれているのですから。
いよいよと思われると脳裏に浮かぶ薫君の御姿も懐かしく慕わしい。
いつかあの御方の噂なども耳に入ることがあっても、この世の者ではない身として陰ながら拝することができればそれでよい。
そうした想いは殿方を慕う女心に他ならないのですが、望まぬ結婚を強いられるくらいならば女としての人生を捨ててしまいたいのです。
丁寧に自ら髪を梳きながら浮舟はさめざめと涙を流すのでした。
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