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『令和源氏物語 宇治の恋華』解説/第14章<水鏡>
みなさん、こんにちは。
『令和源氏物語 宇治の恋華』第二百二十一話は9月4日(水)に掲載させていただきます。
本日は第14章<水鏡>について解説させていただきます。
浮舟の心情
浮舟は匂宮と薫が京へ迎えてくれる日が近づいてもなかなか二人のうちのどちらかを選ぶことはできません。
それでも近しい乳姉妹の侍従の君や右近の君は匂宮に心があると思い込んで、浮舟を励まし続けるのです。
どちらかを選びきれずに悩む浮舟は食べる物も喉を通らなくなり、臥してばかりいるのです。
事情を知らない乳母が嘆くのも物憂く、ただ死ぬことだけを考えるのですが、その勇気もない。
現代に生きる我々にしてみれば愛だ恋だで、生きる死ぬというのは、ちょっと考えづらいことですね。
究極の恋愛体質というか、もはや鬱状態だったのでは???
しかしふと友人の事件を思い出しました。
(刑事事件には発展していません)
友人というのは、私と気が合うほどしっかりした女性で男性に依存しないキャリアウーマンタイプの人でした。
そんな彼女には同棲している男性がおり、仕事をこなしながら尽くしてくれる彼女に依存していたようで、
「俺と仕事とどっちが大切なんだよ!」
と責められたことが何度もあったそうです。
そんな彼なのに浮気をして他の女性と関係をもったわけですね。
彼女はあまり気にせず二人の関係を放置していたようですが(なにせ仕事が忙しい彼女でしたので)、相手の女性が騒ぎ出したので男性には別れ話を切り出したのです。
すると男性は激昂して絶対に別れない、別れるくらいなら死んでやると実際に刃物を持ち出してきたそうで、彼女は急いで家から逃げ出したのです。
数日して家に戻ると彼は冷静さを取り戻しましたが、今度は泣いて謝り、彼女に縋ったのだとか。それでも言葉を継げずにいる彼女を罵り始めたのだそうで・・・。
もう感情の起伏がジェットコースターで手に負えないですね。
まぁ、現代でも愛だの恋だので生き死に騒ぐ場合はあるということを思い出しました。(脱線しすぎです)
水鏡とは・・・
後でわかることになりますが、浮舟は物の怪に懸想されていたのです。
そして姉である大君もかつて同じ物の怪に懸想されていて命を落としたということが明らかになります。
この物の怪の正体は女人への想いを断ち切れずに死んだ僧侶のなれの果てということでしたが、いかにも物語らしい設定です。
源氏物語の宇治のお話は紫式部が書いたものではないといわれております。
平安に時代には印刷の技術はありませんでしたので、書籍は写本という形で人々が書き綴っていくことで伝えられたのです。
ですから、宇治のお話は書き写している女房が気まぐれに書き加えたのだ、という説もあるほどで。
私もこの説に賛同派なのです。
それまでの物語とは厚みが違うというか、どこか俗っぽいというか。
(宇治のお話をお好きな方々ごめんなさい)
源氏の半生の部分をオマージュしているように感じるところもあります。
さて、ここに至り、女人に想いを残した僧が物の怪に成り果て、大君と浮舟に懸想して害を成す、というのは陳腐な設定であると感じました。
物の怪の仕業となりますと浮舟の入水は正確には自死ではなかったということになります。だから観音菩薩に守られて助かったのではないかと思うのです。
そうなりますと入水の場面は浮舟が宇治川に身を投じた、という簡潔な表現で済むのですが、これほど悩み苦しんでいるので、それはそんなに簡単なものではないと思いました。
そこで亡き大君を登場させることにしたのです。
亡き姉の眼差しは非難とも哀れみともとれるでしょうか。
しかしてその姿は鏡に映したように二人はそっくりなのです。
鏡に映る姿と己の鏡に映る心、それが「水鏡」であると創作しました。
明日は第15章<翳ろふ>について解説させていただきます。