高校生
番外編。社会学の課題についてまとめます。
課題の内容は「私の経験について」というざっくりとしたものだ。そして余裕があれば社会に対しての課題も見つけながら書いてほしいと。
自分の経験がどう社会学につながるのか疑問に感じたが、先生曰く他者の経験を知ることは社会を知ることに繋がると言っていた。自分の経験はすべて社会のデータになるのだと
なるほど.
看護学校には社会人の学生もたくさんいて、結婚や出産のことについて書く人も多いみたいだ。
内容は何でもいいらしいが、自分の経験について書けと言われてもあまりに広範すぎるので、医療従事者を目指す立場ということを踏まえて病院での経験を書こうと思う。
⇩
5年間ぐらい、私は精神科にお世話になっていた。(今はかなり楽になったし薬も飲んでないしほとんど普通に生活を送れているが)
もちろん波があったから、入院したこともあったし、まともな時期もあったし薬も通院も不要な時期もあった。
5年間のうち4年間は総合病院の中の精神科に通っていた。
そのうちの2年くらいのあいだの出来事だ。
主治医は母親くらいの年齢の優しくて柔らかい雰囲気の先生で、吐き出す言葉を全身で受け止めてくれる様な人だった。
症状や薬の話だけではなく、雑談をしたりもした。
診察の日はいつも穏やかでいられた。
通院し始めて半年くらい経つと、だんだん調子が良くなってきた。
一応診察の予約は入れてもらっていたが 薬ももういらないかな、という所まで回復した。
本来ならそれは、医師側も患者側も喜ばしいことだと思う。症状を良くするために通院していたのだから。
だけど私は、だんだん回復して元気になっていく自分に不安を覚え始めた。
その時の気分をうまく言葉にすることができないが、「なんかいやだ」という感情だった。その何とも言えない不安というか、焦燥感みたいなものは一度自覚するとどんどん形になってじりじりと膨らんでいき、次第に調子のいい1日が怖く感じるようになった。
そして、調子よく過ごせた日の終わりには決まってパニックを起こすようになった。何の引き金もなくいきなりだ。パニックになると痛みも感じないからいろんなところに体をぶつけてしまって気づいたらアザだらけ、なんてことがしょっちゅう起こった。ひどい時は首や鎖骨らへんをガラスで切ったりもした。(幸い傷はそんなに深くなく、もう綺麗に治ったが)
その期間は結構苦しかったが同時に
私はまだまともじゃない→通院は続けなければいけない→先生はまだ私を見てくれる、見捨てられない。という良くない思考回路に陥ってしまった。
そしてそんな奇妙な感情を抱く自分にも嫌気がさした。これが一番苦しかった。気持ち悪い。側から見たらただの行き過ぎたかまってちゃんじゃないかと。だけど自分の感情と行動をコントロールすることなんてできなくて、せっかく調子よく過ごせていたのにあっという間にまた底へ真っ逆さまに落ちていった。家族の心にも自分の心にも体にも沢山の傷をつけた。
こうなってしまったのは主治医に依存してメンヘラ化した承認欲求まみれの自分のせいなのか、それとも本当に調子が悪くて症状が出ていてなんか治らない時期だったのかはもう分からない。
あらゆる症状が出ても、「これってほんとに病気の症状なのか?本当は先生から見捨てられたくなくて無意識に症状を発生させてるんじゃないのか?」
とか考えて苦しくなった。実際、本当にその症状が病気由来のものなのか精神的なものなのかはわからなかった。
でも、色々ありながらもやっぱり診察の日は先生に会えるから嬉しかった。
調子が悪くても必ず行ったし、先生が着てる服と似たような服を着たりもした。
主治医の診察を待っている患者さんが多かったりすると嫉妬心と焦りでおかしくなりそうだった。何しに病院に行っているのか。あの頃の自分はもうすぐでストーカーだった。
この頃私は、先生が調子を崩した私のことを気にかけてくれている、薬を処方してくれる。それが安心の種となり、癖になっていた。
先生は私がどんな状態の時でも態度を変えずに接してくれたし適切な助言もしてくれた。
決して先生が 治療者と患者という一線を超えて接してしまったわけではなく
私がその適切に引かれた線を跨いで、求めすぎてしまったということなのだ。
精神疾患の治療における 治療者と患者において、患者が今まで抑えてきた感情を主治医やカウンセラーにぶつけることを「転移」というらしい。
もしかしたら私は、先生に対して好意に似た感情を抱くとともになんかしらの大きな感情や欲求を転移させていたのかもしれない。
病気が治り、健常者に戻っていくと病院も薬も主治医も必要なくなる。
病院側も医師側もそれを望んでいるはずだし、患者側も苦痛を和らげ、病院を卒業するために通院してるはず。
あの頃はとにかく毎日先生のことで頭がいっぱいでこんな風に考えることはできなかった。なぜこんなにも主治医に依存してしまったのか。
なぜこんなにも病気が治ることに怯えていたのだろうか。
1つは、通信制高校に通っていた私は日頃どこにも行かず友達や教師と会話することも電車に乗ったりすることも減っていた。日中人と関わることがほとんどなかったのだ。
そんな中毎週自分の話を全身で受け止めてくれる、そんな人がいたらそこに糸を結んでしまうのもしょうがなかった。
もう1つは、きっと母親に対してぶつけるはずの、私から目を逸らさないでいて、という欲求を、母親と同じ位の年齢である主治医に転移させてしまったのだ。
まさか自分がそんな年上の女性に精神的な繋がりを求め、依存してしまうとは思っていなかった。
ここで書きたいのは、あくまでも社会学の授業の課題である、自分の経験(看護学生である私は病院での経験というところに焦点を置いて)を社会の課題と結びつけながら書き出せと言うものだ。
ここまで記した私の経験はかなり奇妙なものだが、早いうちに解決すべき問題点だったと感じた。社会の課題、とまではいかないかなとも思ったが
結局これは精神的な繋がりを間違ったところに繋いでしまったということが問題点であり、それが違った形で現れているケースもたくさんあると思うのでいちおうこの経験を内容に提出してみようと思う。
現在は、通院も薬もほとんど必要ないほどに回復し、健やかに日常生活を送っているが
今もどこかで病院に、治療者に、治療者と患者という枠を逸脱しそこに居心地の良さや精神的な繋がりを感じて治療に支障をきたしている人がいるかもしれない。
このようなことが起きないように 看護師を目指す立場として治療者(介護、看護も)と患者間の線引きをすることは重要だと考えた。
治療者も患者も人間なので難しい部分もあると思うが
コミュニケーションの技術や適切な声がけを学び、実践していきたいと思う。
追記
当時の、主治医に対する思いや自分の感情を赤裸々に記してあるツイートがあるけど遡っていくうちに過去のトラウマや苦しみも蘇ってきてしんどすぎるので
わずかな記憶を頼りに書きました。それがなかったらもっとリアルな記事になっていたと思う、、、
それから、ここはnoteという自由な場所なのでそんなかっちりしてません。
文末もバラバラだし文章を書くにあたってのルールとかガン無視ですがご了承ください。