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価値観の違いと生き方のバリエーション

 から疑問だったことがある。noteには気付きや学び、また経営や収益化などについて発信する人が多くいて、その中には所謂『インプット』として『よく読書しています』という人も結構いる。が、そういった人たちが『読んだ本』として挙げるのはビジネス書や自己啓発書がほとんどで、創作・フィクションがあまり見られない。それは何故なのか……という、素朴な疑問。
『良質な読書体験』と言われたとき、たいていは優れた表現や、キャラクターの造形、展開の巧みさ、またそれらが一体となって織り成される物語全体への没入感などが挙げられるものと思っていた。上で挙げた実用書の類といえばまず読みやすさ重視で文章量も少なく、キャラクターとしてはほぼその本の筆者ひとりのみだ。まずその人は成功体験があるから本を出せていて、それまでの過程で苦労や困難を示しながらも最後は成功体験をもって終わる。何なら主宰するセミナー的なものへの案内もあったりする。生き様に心打たれることはもちろんあるが、展開に応じて入れ代わり立ち代わりに様々な感情が刺激される、ということはあまりない。その人がある程度の成功を収めているのが分かっているから。

 の感覚の微妙なズレ、違和感の正体は何なのだろう。ある時、個人事業主の知人にひとつの質問をした。『最近感動したことはありますか』と。その知人は少し考えてから『大した価値はないと思っていたものが、意外にも高値で売れて感動した』と答えた。カンの良い人ならここでお気づきかもしれない。質問の意図と回答の、ちょっとしたギャップに。
 単純に聞き方を間違えてしまったところもある。私としては、たとえばそれこそ本を読んだり、映画を観たりなどして感情を揺り動かされた体験について問いたかったのだが、返ってきた答えはビジネスでの体験だ。それはちょっとこう、ちゃうねん……と、その時は思った。ただしばらくして、その回答もすとんと腑に落ちることとなる。

 によって言葉が違うのは、それぞれ大事なもの(生活に密接に関わっているもの)が違うから、だとチコちゃんが言っていた。フィンランド語には微妙に異なった状態の雪を表す言葉がたくさんあるし、モンゴル語なら様々な状態の馬を表す言葉がたくさんある。日本語なら米に関する語、といったようにと。
 つまり、私とその個人事業主の知人では普段の生活で大事にしているものが違うのだ。私はいち創作者として感情に対する刺激であったり、種々の感情を催す表現・技術に着目しているし、知人は事業者としてより多くの利益を上げること、そのための技術・方法論に常に注意が向いている。大事にしているものが違えばそれをより高める・深めるのに必要な知識と知恵も当然ながら違ってくるわけで、求める知識の違いが手に取る書籍の違い、ひいては『読書体験』の違いにつながり、違和感のもとになるのではないか、とあとになって気付いた。なるほどつまり、読む本の違いは生き方の違いなのだ。

 どちらが良い悪いというものでなく、それぞれに生き方があり、どういったモノに重きを置いて生活しているか、ただそれだけの違いだ。世にはビジネスパーソンもアーティストもいれば、また違った生き方をしている人も多くいるだろう。自分や自分が属するカテゴリと異なる価値観を目の当たりにして『それはおかしい』と言うのでなく、互いが互いの持っていない良質な価値を提供し合えれば、人生はちょっとずつ豊かにできる。

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