コノハナサクヤ 十一
その日はいつもの定位置で何かiPhoneを見ていたと思います。
氏子(うしこ)に海潮(うしお)に海宇(みう)に三子(みこ)
愛すべき愛猫たち。
神社っぽい名前を付けたら
本当に神社に修行に行くことになった四名の猫
人(猫)生、何があるかわかりません。(そのお話はまたのちほど)
ご近所の日立企画さんで飼われているよるとはちこ
あの子たちも元気だろうか。
そんなことを考えていたら
ふいに840という数字が目に飛び込んで来たんです。
840
はしお?
後ろにいるご守護の方だとすぐに気づきました。それなら自分ははしおだと言うのです。
貴方はあなたのご守護の方がどなたかご存知でしょうか。
こんな話は稀だと思いますが、後ろになんだかでかい何かが居ると気づいた時から
彼は夢でヒントをくださる様になりました。
「みなもとのよりとも けがわ」
これも、日本人のわたしに分かりやすいように、日本の将軍で自らを例えてくれた様で、弟も有名で悲しい死を遂げ、動物の「毛」に由来する伝承があるというメッセージが込められていました。
はしおです。と(え?)
最初はそんな砕けたイメージなんてなくて、
「(史記は)読んだのか?ちゃんと読め。」みたいな無愛想な軍人って感じの方でした。彼的には無愛想にしてるつもりはたぶんなくて、シャイな感じの方です。
この数年間大変だったけど、現世でのはしおさんのこと見つけたから後ろのはしおさんも張り詰めていた糸が解れたのかもしれません。
タロットカードで例えるならば
わたしの中では
はしおさんはソードのキング的イメージで
王様はカップのキング的イメージです。王様はⅣ皇帝のイメージよりもⅢ女帝的優しさのある方の様に流れてきています。
王様のイメージはだいぶこの世界ではわるいようなので、わたしに入ってくるイメージとは差があることをちゃんと記しておきますね。
日本と違い、中国は戦争で勝った国が負けた国や国王をぼろくそに悪く塗り替えるように書き記す、そんな独特のルール、悪しき風習が紀元前から少し前まで現存した国。これは頭に置いて、全ての書物はその歴史の信憑性と照らし合わせながら読むべきかもしれないです。
それに、これはちゃんと言って置かなければと思ってたことです。
王様はもう、男とか女とかそういう次元の存在ではないみたいです。
所謂人生ゲームの「あがり」です。
もう生まれて来なくてよかったそうで、そのくらい誰よりもたくさん生まれ変わって人生を謳歌し思い残すことはなかったみたいです。
なのに生まれ変わってきた。
ひと目逢いたいひとでもいたのでしょうか。
これだけは確信しているのは、どんなに生まれ変わっても遺言状が果たされていなかったことを知ったのは今世だけだろうなということです。すごい時差です。
水戸の黄門さんは『史記』に感銘を受けていて
後日、王様の祖母として生まれ変わりました。
祖母のお葬式。
だいすきな祖母に手紙をかいて棺桶に入れました。
「ゆかちゃんお手紙入れたのなに書いたのかな?」
三人の男子を育てる教育熱心な長女の邦子叔母ちゃん。家に帰るとまず宿題を済ませないと部屋から出れないらしいと後日母から聞きました。そんな要領で、きっとチェックしたかったのでしょう。
「どれ?なになに」
お調子者の次女の栄子、母。その場がただ上手く回るようについついひとに合わせすぎて仕舞う。母のプライバシーのなさを「(わたしはひとにこんなことはしない)」と反面教師に生きて来ました。
末女の幸恵叔母ちゃんも遠慮しがちに、三人でわたしが祖母の棺桶に入れた手紙を取り出し、正座で肩を寄せ口に出しながら読み始めました。
三姉妹が取り仕切るお葬式。ちょうど正面くらいに少しだけ遠くて。
今なら大きな声で止めることだって、走って取り返すことだってできる。瞬発力だって今なら。すぐに今すぐに。風の如く…一瞬でキメれるのに。
大事な日でもあり
たくさんの人もいて
いやだとやめてほしいと
言いたいことも言えなかった。
身体が固まって、こえも出ないみたいに。
ショックすぎると恥ずかしさや悲しみや怒りよりも現実かどうかも分からなくなる。
今、世界では戦争が起きていたり、ある機関が不穏な動きをしていたり、裏で牛耳る税金の取られないビジネスがあったりするけど
わたしの目の前には海と橋と朝日があります。
そうでしょう?はしおさん?
『ばあちゃんには、くにこおばちゃんもおかあさんもゆきえおばちゃんもいるから。みんなばあちゃんのこと大好きだろうし、ばあちゃんも大好きだろうからわたしはいちばんじゃないかもしれないけど、ばあちゃんのこと大好きだよ。
また、生まれ変わったらわたしのばあちゃんになってください。』