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「私たちは善意を持っているから」

この1週間で2度ワークショップのような場に参加した。

主催者もテーマも参加者もバラバラ。
開催場所もオンラインと対面、と異なる環境。
でもわたしは同じことを経験した。

感想共有の時間に、アドバイスをされた。

それまでは、参加者が自分の感想を話していただけだった。
それを受け取り、こちらも感想を返す。
双方向の対話の場がつくられていた。

なのに、私が感想を話し終えた瞬間、
「こうしてみた方がいいんじゃないか」
「こう考えれば楽になるよ」
「もっとこうしたらいいよ」
とアドバイスの嵐。

終いには、「そんなんじゃ仕事はもらえないよ」とまで言われた。

私はただ自分の思ったこと、感じたことをその場に出して、受け取ってもらったところから対話を紡いでいきたかっただけなのに。

まるで、私がその場に置いたボールを拾い上げて豪速球で投げ返してこられたような。

そんな気分だった。

なんとも言えないやるせなさが自分を包み込んで、その後は、感想を共有できなくなってしまった。


話すよりも聴くほうが何倍も難しい。

受け取って、返す。

コミュニケーションはその連続なのだけど、その「返す」が相手にとって「返されていない」ことが残念ながら多くある。

でも大抵の場合そこに悪意はない。寧ろ、善意からボタンの掛け違いが発生している。

上司に言われた言葉を思い出す。

「私たちは善意を持っているから」

善意を持っているから、よかれと思ってアドバイスをしたくなる。タメになることを言わなきゃと思ってしまう。

善意を持っているから、受け取ったら早く返してあげたくなる。沈黙はつらいだろうと思ってしまう。

善意を持っているから、厳しい言葉をかけたくなる。成長を願っているから。

私にアドバイスをくれた人たちも、純粋に善意で教えてくれたのだと思う。

でもその上司はこう続けた。

「みんな、自分のなかに既に答えを持っている」

気づいていないかもしれない。
引き出せていないかもしれない。
行動できていないだけなのかもしれない。
頭が拒否しているのかもしれない。

でも、ほとんどの場合、既に答えは自分の中にある。

沈黙や、感謝のコミュニケーションだけで、それがむくむくと前に出てくることがある。
ひとつ、鍵となる問いを渡すだけで、「答え」が膨らむことがある。

だから、本当は聴くだけで充分なのかもしれない。

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yuka 💐
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