わしがわしを認めるまで。「らんまん」の萬太郎が持つ、ゆるぎない「芯」
絶賛ハマり中のNHK朝ドラ「らんまん」がどんどん面白くなってきて、さらにハマっている。
とにかくこのドラマ、人生の中でわたしが大事にしていきたいことを登場人物のセリフに乗せて語ってくれることが多くて、グッとくるセリフがめちゃくちゃ多いのだ。
今週も胸アツなセリフが出てきたので紹介したい。
幼いころから愛してやまない植物学の道に進むため、高知の造り酒屋の当主の立場を捨てて一念発起、あてもないまま東京に出てきた萬太郎。
東京で出会った和菓子屋の娘、寿恵子にひとめぼれして、恋心を募らせるけれど、
自分が植物学者と名乗れるようになるまでは寿恵子に会わないと決めて、植物学の学会誌を作るべく、大学では植物研究、その後は肉体労働を伴う印刷屋で石版印刷技術の修行とハードな日々を過ごしている。
一方、末子さんは、高藤様というお偉いさんに見初められ、妾の話を持ちかけられている。もう高藤さまはすっかりその気。
そんな状況をまずいと思った付き人の竹雄は萬太郎に、早く寿恵子を迎えに行けと急かす。
だけど萬太郎は、まだだと頑な。
今はただの植物好きの男でしかない。植物学者と名乗れるまで、結婚を申し込むわけにはいかないとこだわる。
焦る竹雄は、植物学者なんか、基準がないのだから、早いこと名乗ってしまえばいいのに、一体いつまで研究を続けるつもりだ?と聞いたら
萬太郎は
「わしがわしを認めるまでじゃ」
と言った。
グッときた。
そうそう。
名乗るなんていくらでもできる。
誰かに認められるかどうかではなく、
自分がその自分で納得がいくかどうか。
他者基準ではなく、自分の中の基準だよね。
自分が自分を好きでいられるか、
自分が自分に確信を持てるかってすごく大事で、
それは過大評価でも過小評価でもなくて、自分の中のこれと言うものを持ち、それを基準に生きていくと言うことなのだろう。
それが人間の芯みたいなものじゃないかと思う。
誰かの目を気にして、自分を卑下する必要もなければ、必要以上に大きく見せようとする必要もない。
自分の「核」をきちんと持って、それに従って生きていく。
ノイズが多くて、まずその「核」を持つこと自体が難しい難しい世の中ではあるけれど、それさえあれば、生きる強い味方になるだろう。
自分も萬太郎みたいに、自分の中にある心の声に従って生きていければいいなと思う今日この頃だ。
今日もお読みくださりありがとうございました!