しあわせのパンを分け合うということ。
ちいさな画面をテーブルの隅っこに立てて置いて
私の大好きな映画を流しながら
部屋にある家具のペンキ塗りをした
学生の頃から大好きで
何回も見返しているこの映画は
なぜか自分のターニングポイントと思える瞬間に
無性に見たくなる傾向にあるようで
今回もたっぷり涙を流しながら観ている
ながら観じゃないか・・・
と思うかもしれないけれど
もう何回も見ているから
物語の先を見越して画面を見ずとも
想像で泣ける境地に達している
側から見たら変なやつだと思うけれど
今は一人でペンキを塗っているだけだから問題ない
一つだけ気をつけるとしたら
塗りたての家具に涙をこぼさないように
するくらいだろう
ちなみにこの映画のタイトルは「しあわせのパン」
主演は大泉洋さん演じる水縞くんと
原田知世さん演じるりえさん
物語の舞台は北海道の月浦
このご夫婦が営む「カフェ・マーニ」
大自然に佇むカフェから漂う
コーヒーと焼きたてのパンの香り
そして四季折々の景色の移り変わりを感じながら
カフェに訪れる悩みを抱えたお客様の心の変化が
繊細に描かれている
カフェに訪れるお客様はみんな恋人や家族、
そして自分にとっての幸せと愛情について
悩みを抱えている
旅行の前日にドタキャンされて彼氏に振られた女性
元気のない女の子と、そのお父さん
そして吹雪の中で訪れた妙齢のご夫婦
なかでも私は
妙齢のご夫婦のお話が一番大好きで
このお話が始まった瞬間にもう泣いている
詳しいストーリーは長くなるので
ご興味があれば見ていただくとして・・・
この映画の中でわたしが一番好きなセリフがある
それは物語の終盤
店主の水縞くんが旦那様に
とある質問を投げかけたセリフ
『”カンパニオ”という言葉が
ボクは大好きなんです。
もともとの語源は”パンを分け合う人々”
という意味なんですけど、どんな意味でしょう?』
「共にパンを分け合う人々、
家族という意味とちゃいます?」
『惜しいです。仲間っていう意味なんです。
でもそれが家族の原点だとボクは思っています』
”カンパニオ=パンを分け合う人々”
人が仲間に分け与えるもの
たとえばパン以外のものであればなんだろう
パンは手でちぎると不恰好な形になってしまったり
片方が小さかったり、大きかったりする
ちぎってあげた人は
きっと大きな方を相手にあげて
自分は小さくてもいいと思うだろう
たっぷり乗っている具材が
どちらかに偏ってしまってもそうする
それで自分が損をするわけではない
じゅうぶん自分は幸せを感じていて
じゅうにぶん相手が幸せなのであれば
つまりはそういうことだ
そこに大きさは関係なくて
むしろ分け合うことで増えていくもの
学生時代のわたしは
このセリフを聞いて泣きじゃくった
わたしには分け与えてくれる人も
誰かに分け与えられるモノもなかったから
当時の私はちっぽけな幸せすら見失っていた
部屋のなかでうずくまって
ベットの横にある小窓の向こう側で
暮れていく空を眺めて
小さく呼吸をすることで精一杯だった
でも今は違う
換気のために開けた小窓から
穏やかな風が入り込んで
その向こう側にきれいな青空が見えた
それを見て「綺麗だ」「幸せだ」
と思えた自分が嬉しかった
そしてまた涙が溢れた
あの頃のわたしの悲しみも二つにちぎって
大きい方を貰ってあげられたらいいのに
当時の私にはにわからなかった
”カンパニオ”の本当の意味がわかった気がして
たまらなく涙が溢れた
わたしもちゃんとなれるだろうか
悲しみも喜びも分け合えるような”カンパニオ”
誰かを救おうなんて思っていないけれど
少なくとも私のもとに来てくれる人だけは
笑っていてほしいと願っている
「しあわせのパン」を観るときは
いつも私のターニングポイントだ
なんとなく自分のなかに
また新しい支柱が建てられた気がして
窓に向かって深呼吸をしたら背筋がシャンと伸びた
ちなみに水縞くんが
私の理想の旦那さまだというお話は
また今度どこかで・・・
(え?誰も聞いてないって?)
花崎 由佳
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