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フィレンツェ君主からの贈り物
前々回ご紹介した18世紀に死刑廃止を採択した人物は、オーストリア、ハプスブルク王家の出身でした。
フィレンツェを中心としていたトスカーナ大公国を治めていたメディチ家は、最後の当主ジャン・ガストーネが子孫を残さなかったために断絶。1737年以降、オーストリア王家が統治することになります。
彼らがフィレンツェに残していってくれたものは現代につながる人権の尊重だけでなく、文化財も多くあります。ピッティ宮殿にもウフィツィ美術館にも彼らが手を加えた箇所が多くあります。
中でも有名なものは、ラファエッロの『大公の聖母』(1507年頃)で、美術史の教科書に必ず出てくる、ルネッサンスの頂点とも言える作品です。
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ラファエロが1500年代の初頭、フィレンツェに滞在した時に制作したもので、依頼者や制作目的、由来は謎に包まれてます。
新たなトスカーナ大公国の3代目だったフェルディナンド3世(1769年 - 1824年)はこの聖母子像を痛く気に入り、1800年くらいにウィーンから購入しました。作品と共にフィレンツェにやってきて、片時も離れず手元においていたそうです。一説にはおトイレに行く時にも持っていっていたとか。
ナポレオンが1800年のフィレンツェにやってきた際は、聖母子像とともにオーストリアに逃亡。ナポレオン失脚後フィレンツェに戻った時からピッティ宮殿に置かれます。そしてオーストリア王家の統治が終わりオーストリア王家がフィレンツェを去る時、フィレンツェの人たちのために置いていってくれたのでした。
その為に「大公の聖母」と今でも呼ばれています。
メディチ家が自分たちのために依頼、もしくは購入、政治的理由から手に入れた芸術品が多い中で、この絵は唯一民のために君主が送った、フィレンツェにとって大切な作品です。
ラファエッロの名画だけでなく、民の啓蒙のため市民にウフィツィ美術館の一般公開(1769年)を始めたのもオーストリア王家の偉業です。
フィレンツェにいらっしゃる時の参考になさってみてください。
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