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安産祝いから、ミケランジェロの手が加わるまで

先日の投稿で触れたサン・ロレンツォ教会について。



ローマの助祭だったサン・ロレンツォに捧げられた教会が、なぜフィレンツェにあると思いますか?



歴史は4世紀末、ローマ帝国でキリスト教が認められれた時代に遡ります。



この時、ジュリアーナという貴族の女性がフィレンツェにいました。彼女はお子さんが欲しかったにも関わらず、叶わない日が続きます。そこで、旦那さんと一緒にローマに安産祈願のお参りに行き、サン・ロレンツォにお祈りをします。


そのかいあって無事男の子を授かり、感謝の気持を込めてロレンツォに捧げた教会建築に寄進しました。393年、司教アンブロージョがフィレンツェの大聖堂として定礎しました。



寄進者ジュリアーナ



なんとジュリアーナはお子さんにも「ロレンツォ」と名付けます。



その600年後、改築、拡大工事が行われますが、現在のフィレンツェ大聖堂がある場所に新しい大聖堂が建てられ、サン・ロレンツォ教会は廃れます。



ですが、ルネッサンス期にメディチ家が力を振るうようになってから、大きく変わります。ジョヴァンニ・デ・メディチ/ビッチとコジモ・デ・メディチ/イル・ヴェッキオの出資により、彼らの菩提寺として今見るようなルネッサンス様式の素晴らしい教会になりました。



シンプルでありながらセンスが光るのが、フィレンツェの芸術


天井。正方形を連ねただけに見えるが、所々に決して単調にさせない繊細な装飾がある。真ん中にはメディチ家の紋章が据えられている。
訪問者を向かい入れる、広々とした空間


大聖堂のクーポラを手掛けたフィリッポ・ブルネッレスキによる、空間の美しさを際立たせた建築にドナテッロの装飾、ブロンズィーノやロッソ・フィオレンティーノの作品などが揃います。「ブルネッレスキの建築」という素材を活かし、磨き上げたシンプルなプラチナの指輪にダイヤを添えるように作品が並んでいるのがサン・ロレンツォ教会です。



旧聖具室。メディチ家の始祖と奥さんの墓所
フィリッポ・リッピ 「受胎告知」 1450年頃
ドナテッロ 聖歌隊席/説教壇 1460年頃
ロッソ・フィオレンティーノ 「聖母の結婚」 1523年



その後ミケランジェロが設計した図書館やメディチ家のパンテオンとも言えるメディチ家礼拝堂が建てられ、メディチの聖域となります。この教会は彼らの邸宅の真裏にありましたし、大聖堂とも近く由緒ある教会なので、彼らにとって都合が良かったのです。



本当ならミケランジェロがデザインした正面もつけられるはずでしたが、資金不足で実現せず。それにミケランジェロ自身忙しくてとてもやりきれませんでした。



古代ローマの貴族の女性の寄進から始まり、ひょんな事からメディチ家の菩提寺となったのでした。



フィレンツェにいらっしゃるときの参考になさってみてください。

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