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チェリストとしてのストーリー

皆様、こんにちは。
昨日の投稿でいいねを押してくださって有難うございます♪

今日はチェリストとしてのストーリーを書いていきたいと思います。


チェリストになるまで


チェロとのファーストコンタクト

チェロに初めて触れたのは高校1年の弦楽部でした。初心者が多く和気藹々とした楽しいコミュニティでした。
そこでチャイコフスキー作曲の弦楽セレナーデを練習していた時に、とても楽しくて楽しくて仕方なくて、どんどんチェロにのめり込んでいき、自然ともっと勉強したい、専門的に勉強したいと思うようになりました。

それを親に伝えたら
そりゃぁもう、猛反対です笑。

頭を下げて絶対揺るがない、絶対達成してみせる!となんとかお願いをして
許してくれました。
条件は

行くのは国公立音大、浪人は1回まで。

この条件で習っていたヴァイオリンの先生からチェロの先生を紹介して頂き、高校2年からチェロ専攻としての勉強が始まりました。

レッスンでは熱心に先生が教えてくれてとてもありがたかったのですが、毎度言われるのは

何故君はそんなに音楽性がないの?

これを常に言われ続け、そんなもん知らんがなとなるのですが、そんなことは言えず笑。
必死に耐え喰らい付いていました。

私の先生は教えるのが上手で沢山の素晴らしいお弟子さんを輩出しています。もちろん音楽科にバシバシ合格させているので、受験体制にいくためのプログラムがあるくらいしっかり計画性を持ってレッスンをされている先生です。

私のパターンで先生の考える受験までのプログラムは高校2年から受験日まで、ようは2年間で基礎練習から始めて、最終的にゴルダーマンというチェリストには欠かせない作曲家の協奏曲第3番が弾けるようになって、それを入試で演奏するということでした。

ところが私は必死こいて練習していたので、2年かかるプログラムを1年で終わらせてしまったのです。(良いことなんだけど)

先生からは、
君は努力の才能がある。だから大丈夫。

と言ってもらえて、ハイドンやサン=サーンスの協奏曲を高3から取り組むことになったのですが、ここで私に異変が生じるのです。

精神不安定が顔を出す

正確には高2の終わりがけです。

神経質レベルがあがり、精神的不安定さも出てきて被害妄想が顔を出し始め、
高校3年のときには学校に行けなくなりました。
外が怖くて電車にも乗れないのです。

タイミングも悪く、高校はクラス替えで派手なギャルばかりでカルチャーショックのようなものを抱き、どうしていいか分からず、登校できても保健室まで。
レッスンどころではありません。

でも行かなきゃ、愛知県芸いきたい、受かりたい

ぐちゃぐちゃの精神状態でレッスンに通う始末。
結果的にはクラスに戻ることができて受験もしたのですけど試験中過呼吸に近い状態になり全然弾けなくなってしまって愛知県芸は不合格。
浪人してなんとか合格し、無事に入学。

大学入学後自己肯定感はなくなった

問題はここから。
私はチェロ歴3年で大学に入ってるので周りに追いつくことで必死。人の倍練習しないとついて行けません。
素晴らしい先生に師事させてもらえて嬉しいのに、言われることは常に否定。

なんでそんなこともできないの?
そんなことも知らないの?
何のためにチェロ弾いてるの?
できないなら今すぐ辞めれば?

これを毎回のように言われるのです。

自然と自己肯定感というものは無くなり自信も失くして自分が考える音楽にも自信が持てなくなりました。

大学3年時。弦楽合奏定期演奏会にて。

ずっと困って弾いてるよね
自分の考えに自信をもちなさい

そんなこと言われても、自信持って弾いたら否定するんでしょ?

と心の中で思い続けていると大学3年に転機が訪れます。
それは恩師との出会いです。

女性のチェリストであり、第一線で男性にも負けずに戦ってきた先生です。
この先生は個性を伸ばす指導の仕方をされるので、否定の言葉はあまり使わなかったと思います。
その先生に言われて少しずつ自分の考えに自信を持って演奏できるようになった言葉は

まずは自分の考えを提示しなさい。間違ってたら言ってあげるから。

でした。少しずつ提示する訓練をして、私の良いところを伸ばしてくださり、まだこの先生に教えてもらいたいと思い大学院を受験してなんとか入学。
先生が居なかったら今の私はいないと思いますね。

大学院2年修了時。

卒業後、社会へ

そして大学院を出ていざ社会へ。

ずっと演奏に自信が持てなくて、卒業するころには少しマシでしたが、私には演奏が向いてないと思っていて始めたのが音楽教室での指導です。
指導の仕事をしている時、すぐ近くで生徒さんが反応してできるようになってくれる現実を見て、指導は天職かもしれないと思いました。

でもまだ演奏を諦められなくて、教える時に困らないように演奏を続けレッスンを受けたり研鑽を積んでいたところ、とうとうアイツがやってくるのです。

そう、精神疾患が。

再びあらわれた精神不調。そして病名判明。

弦楽四重奏のレッスンを1年かけて受けるプログラムに参加していたときに異変がありました。

やたら気持ちが大きくなる。
ハイテンションでよく喋る。
どんだけ練習しても疲れない。
寝なくても平気。
毎日がハッピー✨

これが2,3週間続き、ある日突然ドン!!!と精神的な落ち込みがきました。

ベッドから動けない
希死念慮が離れない
自死への衝動
涙が止まらない

病院を紹介してもらい、診断名は
双極性障害でした。
所謂、躁鬱病です。

これは今現在も心療内科に通院して投薬治療を受けています。
だいぶ落ち着き寛解に近いと思いますが。

双極性障害は鬱病と少し違っていて、精神的に落ちていても動けちゃうんです。
動けちゃうから悪化しやすくなってしまうのですけどね。

精神疾患を持ちながらのフリーランス活動

精神疾患を持って演奏活動や指導活動をしていくのは自己管理が大変です。
でも、精神疾患を持ってるからこそ、目の前にいる人に寄り添えることができると思うのです。

演奏はエネルギーを大量消費しますので、今は月2,3回くらいしかスケジュールに入れることができませんが、自分ファーストになれるし、その分クオリティを下げずにパフォーマンスできるようにしています。

当時は何故自分が双極性障害になったのか…と運命を呪いたくなりましたが、今ではギフトじゃないかなと思えるようになりました😊
人の痛みを知っていた方が良いことが多いですし。

このようにネガティブな言葉を浴びせられ続け、自己肯定感なんてなかった私が精神疾患を持ったことにより、自分を大切にできるようになり、演奏することにポジティブな気持ちを持てるようになったのです。

次は天職と感じた指導についての記事を書きたいと思います✨

長々と最後まで読んで頂き有難うございました🌸

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