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「福祉」ってなんだろう、を言葉に残していくことの決意。

いつもと違って、少しだけ尖った文章を書きます。
なので、適度に回れ右してください。

今日の夜中、「嫌い」についてnoteを書いた。それを考えているときに、前からずっと感じているどうしても消えない気持ちが現れてきた。それについて書こうと思う。

もしかしたらすぐに下書きに戻すかもしれないし、戻さないかもしれない。きっと何年後に、いや何日後かもしれないけど、若かったんだな私って思う日が来るんだと思う。だけど今の私の思いはこれだから、読んで意見ある人はぜひ遠慮なくコメントいただければと思います。

◇◇◇

2019年4月、大学生になった。
私の学部は主に教育や福祉を学んでいる人がいる。もちろんそうでない人もいるけど、大抵の人が社会福祉士や保育士、教員の資格を取得する。

だから、「子どもが好き」とか、「誰かの力になりたい」とか、これまで生きてきてあまり出会ってこなかった人がたくさん集まっていた。

優しい人がたくさんいる。一見そう感じる。
みんな優しいし、誰かのことを考えられる人が多い。
だから、基本喧嘩も起こらないし、誰かと誰かやばいらしいよ…というのもあまりない。きっと表面上では。

授業では、物事を多角的な視点から捉えるトレーニングをしている。誰の意見も視点も正解でも間違ってもなくて、全て大事だ。そう学んで、色んな人のお話を聞いているから、もちろん私生活でも自分の視野は広がっていく。そんな教育を受けているのだから、心の広い人が多くいるのは納得できる。将来的にも、対人援助に関わる人たちなんだろうから。

でも、私はこの学部をどうしても好きになれない。
友達が嫌いとか、学んでいる内容が嫌いというわけではない。むしろ学びは充実しているし、この学部にきてよかったと思っている。

じゃあ何が好きを阻んでいるのか。
それは、子どものために。とか、障がいのある人のために。とか、弱い立場にいる人のために。とか、そういうことを言っているのに、平気で自分の弱さを強い武器のように振りかざして人を傷つけていく人もいるからだ。そして、それを良しとしてしまう空気感もあるからだ。

いくつか具体的な例を挙げよう。

・少し気の弱そうな人の気持ちを、平気で数人で押し込めてしまおうとする。多分私が全く同じことをしていても、何も言ってこない。別に私が強いということではないけど、きっと色んな面で都合が悪いんだろう。

・相手の置かれている状況を利用して、断れない頼みをし続ける。断ると機嫌を悪くしたり、むやみに怒る。そんな人が福祉だ、対話だ。そんなことを声高に語っている。

・"私"ではなく、"女性"というカテゴリで扱われたことに傷ついたと伝えても、それはやだねと言いながら笑う。

そんな経験がいくつか思い浮かぶ。
大人だから、大学生だから、いいんだろうか。
子どもじゃないから、一見弱い立場の人じゃないから、いいんだろうか。

冷静に立ち止まると、いいわけがない。
冷静に立ち止まらなくてもわかる。

みんな人間なんだから、多様な自分がいることはわかっている。そして、色んな矛盾を抱えていることも知っている。私にもきっと自分で気づいていない矛盾があるのだろう。

でも、それをふまえても、拭いきれない気持ち悪さと恐怖が出てくる。大人には向ける刃物を、子どもたちや弱い人の前では出さないよ。とでも言うように、人と関わる。もしくは気づいてないかのように、平気で生活をしていく。

自己覚知が大事、と何度も言われているけれど授業の自己覚知は正直入口でしかない。だって、誰が聞いてもおかしいくらいのことが平然と起こってしまうんだから。
全ての人に対して同じような気持ち悪さを持つわけではない。多分、福祉や教育に関わる人だからという思いを私も持っているのだろう。

でも、言葉を選ばずに言うと、この自己矛盾と感覚を持った人たちが子どもたちに関わること、対人援助職に就くことに対して震えるほどの恐怖を感じることがある。
そりゃ、"支援"への不信感を持つ人も、"支援"によってさらに傷つく人がいるのも当たり前だと思ってしまう。

自分や環境の都合によって左右されてしまうような弱さを、正義だなんて振りかざしているようじゃ、永遠に目の前の人を不幸にしてしまうと思う。別に完璧になれ、と言っているのではない。私だって欠陥だらけの人間くさい人間なんだから。

でも、最低限の譲れない部分がある気がする。
「やさしさ」ってなんだろう。
「支援」ってなんだろう。
「福祉」ってなんだろう。
「生きる」ってなんだろう。
答えのない問いだからこそ、常に問い続けられる、内省して自分なりの答えをアップデートし続けられる。
そんなところなのかもしれない。

私たちの成長には、きっと自分や誰かの傷つきが伴っている。それは人生や命にも近いところにある。
だからこそ、目の前の人を平気で傷つけてしまう弱い自分自身はうまく扱っていける必要があるんじゃないかな。

それが社会に出てから、でもいいのかもしれない。でも、今、目の前で傷ついている大人がいる。それをきっかけにしていく必要もあるんじゃないかな。そんなことを思ったけど、きっかけは誰かから与えられるものではなくて、自分で感じるものなのかもしれない。

ここまで少し強い言葉で書いてきたけど、弱さをうまく扱えない恐怖や色んな感情、そこに至るまでの環境。色んなものが彼らにもあるんだよね。それも忘れずに居たい。

でもやっぱり、自分の言葉や関わりが誰かを傷つけたり、誰かの気持ちを抑圧してしまうかもしれない。という自覚は常に持っていてほしいし、常に問い続けていてほしい。それは私も絶対に忘れたくないし、私の「無知で誰かを傷つけたくない」という1つの強い願いなんだと思う。

感覚は人それぞれ違って当たり前だから否定はしないけれど、私は、声高に「福祉」はいいよ!やりがいがたくさんだよ!と語っている大人は少し苦手だ。

同じように、この学部最高!大好き!と語っている人も少し苦手だ。言語化できていない部分がまだまだ沢山あるけれど、同じことの繰り返しになりそうなのでこの辺で止めておく。

◇◇◇


この学部で過ごすのもきっとあと1年。
あと1年で私には何ができるのだろう。

この空気感に染まらずに卒業することだろうか。
みんなと「やさしさ」「福祉」「支援」「生きる」…色んなテーマについて対話することなのだろうか。

色々思い浮かんだけれど、このnoteを書いて公開することが第一歩な気がした。この話を「福祉」とは関係のない場所にいる人にはしたことがあるけれど、「福祉」の近くにいる人には話したことがない。直接話したことがないのは、私の否定されたら怖いという弱さだ。

今後は「福祉」ってなんだろう。
そんなことについて、定期的に言葉にしていきたい。
私も若かったな、なんて言えるように日々の軌跡を。

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