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明日、8年ぶりに、新卒で入社し5ヶ月で号泣しながら退職した会社に行く。

8年前。22歳の私は、いわゆる新卒で、とある会社に就職した。

出身地だった京都から宮城に移住し、宮城の復興の役に立ちたいと志を持って就職した。友人や家族、親戚など誰もいない環境で、初めていちから人間関係を築かなければいけなかった。

当時、私はとにかく一生懸命だった。慣れない電話にも頑張って出たし、自分から動けるところは探して積極的に動いた。

でも、自分の今やっている仕事が、宮城という土地にどう還元されているのかがわからず、就職して数ヶ月たらずで深い悩みに入ってしまった。

「自分は、京都から宮城にまで来て、何か役に立てているのだろうか」

その問いが頭から離れなくなって、その問いを無視して仕事をしていたら、ある日、自転車に乗って職場に行こうと思ってもペダルを漕げなくなっていた。

そのまま、職場にいけない日が1週間続いたタイミングで、当時の上司に連絡をしていた。

「もう、職場に行くことが難しそうです。お休みさせてください」

当時、知り合いや友人がいなかった私にとっての一人暮らしは地獄だった。ご飯も食べれない、外に出るのも億劫。カーテンを閉めて、1日中ベッドに横たわる日々が続いた。この時の私の体重は恐ろしく減り、このままでは本当に、倒れてしまうかもしれない、と思った。

そんな時に、当時の上司が心配して、私を車に乗せて、病院に連れて行ってくれた。その時に診断されたのは「適応障害」だった。

適応障害は、ある特定の状況や出来事(転勤、配転、新しい人間関係など)が、その人にとっての主観的な苦悩(とてもつらく耐えがたい感じ)を生み、そのために気分や行動面に症状が現れるもの。

当時の私にとっては、誰も知り合いや頼れる人がいない環境での、初めての一人暮らし、初めての社会人、そして理想と現実のギャップが非常にストレスだったのだと思う。

そしてそのまま1ヶ月休職したものの、回復する兆しがなく、退職する相談をしに、上司に会いに職場に行くことになった。

私はこの日のことをよく覚えている。
京都から移住してきて、期待されて入社したのに、何にもできないどころか、たくさんの人に迷惑をかけている。上司も本当に私のことを気にかけて、最善を尽くしてくれたのに、何にも頑張れなかった。情けなくて、悲しくて、ぼろぼろ泣きながら、「本当に、本当に申し訳ありませんでした。」と、上司に退職届を差し出した。

その時に、上司から、こんなことを問われた。

「原田、どうする?職場のみんなに一言挨拶してくか?」

私は、正直、「無理だ。」と思った。合わせる顔がない。合わせても、何を言われるかわからない。顔も見たくない、と思っている人もいるかもしれない。黙って唇を噛み締めて、下を向いている私に、もう一言、投げかけてくれた。

「今日決めなくていい。1週間待つから、もし挨拶したいと思ったらまた来んさい。無理だったら、俺から言っとくから。無理はすんな。」

私はこの時の上司の提案に、今でも本当に感謝している。
「挨拶をしろ」でもなく「挨拶をした方が良い」でもなく、選択肢を出して、自己決定を尊重してくれたことに、本当に救われた。

私は泣き腫らした顔で帰宅し、1週間、どうするか、真剣に考えた。
真剣に考えて、考えて、考えて出した結論は、皆に挨拶をする、だった。

今でも覚えている。挨拶の当日、身体が震えて震えて、息が浅くなって、やっぱりやめようか、と何度も思った。でも、ここでちゃんと感謝を伝えないと、今後同じようなことがあったときに、私は向き合わないという選択をするだろう、と思い、勇気を振り絞って職場に向かったのだった。

私の姿を見た上司が、満面の笑みで、

「原田、よくきたな、待ってたぞ。」

と言ってくれた瞬間、号泣した。泣いて泣いて、もう挨拶どころじゃなかった。肩を震わせて、鼻水を垂らして、お世話になった方々、ひとりひとりに挨拶して回った。ほぼ、私は何にも言えなくて、上司が「原田がお世話になりました」と頭を下げているのを横についてまわる。それだけでもう、精一杯だった。

みんなの顔を一切見ることなく、私は、新卒で入社したその会社を5ヶ月で退職した。


それから月日が経ち、8年経った。今、私は30歳だ。宮城から離れた時期もあったが、当時の上司とは、8年経った今でも、細々と関係性は続いていて、たまにご飯を一緒にたべ、近況を報告していた。

5ヶ月で退職した新卒の私を、退職しても変わらず、可愛がってくれる上司に本当に感謝しかない。俺は、原田の宮城の父だ、と今でも言ってくれる。

そしてある日、ご飯を一緒に食べている時に、ふとこんな提案をしてくれた。

「原田、そろそろ、職場に来たらどうだ?みんな、会いたがってるぞ」

私はドキッとした。あの時、泣いて挨拶できなかった、お世話になったたくさんの人たち。もう、8年も経っているから、退職してしまって会えない人もいるけど、当時、私をよく見てくれていた人たちもまだ働いている。
どんな顔で行こうか、今更….とか思われないかなと、色々なことが思い浮かんだけれど、こう答えていた。

「はい、行かせてください。」

明日、8年前に自分から伝えられなかった感謝を、伝えられるだろうか。

いや、伝えたい。

8年越しの、「あの時はごめんなさい。ありがとうございました。」

泣かないように、電車の中で、練習しよう。

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