「休む」ってなんだろう。
誰しもがある、自分のガソリン切れ。「あー、今日もうやってらんない」「もう何もやりたくない」そんな日を私も経験したことがあります。
もちろん中には、何があっても大丈夫!という強人もいるのでしょうが、私は少なくとも、そうはなれないので、ガソリン切れになったら思い切って休むようにします。
そんな時に、自分もよくいうし、よくいわれるのが「ゆっくり休んでね」という言葉。
そんな時に、ふと思ったんです。
「休む」ってなんだろう….?
日本語ではabsent(欠席・欠勤する)と、rest(休憩・休養する)は同じ「休む」という言葉を使うので余計に混合されやすい気がするのですが、おそらく欠勤する=休むではないんだろうな、と思うんですよね。
なぜなら、欠勤するだけでは休むにならない時ありませんか?欠勤して、休養すること、がおそらくセットになっている。
辞書的には、休養とは、「疲労を回復し、健康を取り戻す」という目的のために、一定の時間を使って行われる行為のことを指すそうです。
疲労を回復して、健康を取り戻すために何ができるのかでいうと、おそらくそれは人それぞれ。
1日中サウナに行く人もいれば、外を散歩する人もいれば、どこか旅に出る人もいるかもしれません。
ここからは、私の持論になりますが、私にとっての休養は「色々感じている自分を解放して、許してあげる」という行為に近いです。
「ちょっと休む」時は、1時間お昼寝するとか、1時間好きなことする、近くのコンビニに行くとかそういう類になるのですが、「完全に休む」時は、私の場合は欠勤と休養がセットになっていることが多いので、だいたい仕事だったりプロジェクトを止めることになります。
すると、どこかでもう一人の私の声がするんです。
こういう声を全て聴いてあげて、「でもさ、いいんだよ。こういう日も必要だよ」「頑張れない日だって、大切な自分なんだよ」って自分にも他人にも言ってもらう。それが、私にとっての休養の1つでもあります。
完全に休んでいる時に、
「頑張れよ!」
「やればできるよ!」
「立ち止まるなよ!」
「でもさ、もっとできることあったんじゃない?」
という熱血教師に出会うと私はどんどん元気がなくなってしまうので、出会わないようにしています。たまに自分の中に住んでいる時があるのですが、そういう時は他者の力を借りて、「ちょっと今は出て行ってねー」って感じで、出ていってもらっています。
「ちょっと休む」を必要としている自分の状態だと、この熱血教師がとても良い働きをしてくれる時があるのですが、「完全に休む」を必要としている自分の状態だと、悪い働きになってしまいます。
そして、だいたい私が「完全に休む」が必要になってしまう時は、周囲の期待に応えようとか、成果を出さなければとか、もっとこうあらねば、とか自分との約束をかなり強固にして全力疾走で動いている状態が続いている時。
そりゃあ、疲れるよな、と思うんです。もちろん、そんな全力疾走な自分のおかげで色々なチャンスや仕事をいただいてきたのもあるのですが、持続可能ではない。
最近は、持続可能でいるために、自分との約束を緩める意識を持とうと思っています。
最近、夫からフィードバックをしてもらって気づいたのですが、「ゆかって、自分で今日なんもやっていないって言っている日、他人から見ると結構やっているんだよ。」と言われたことでした。
確かに、私は自分で「やっている」と思える日は、1日仕事をしたとか勉強をしたとかnoteを3本書いたとかそういう日で、1時間程度の仕事や作業、noteを1本書くだけだと、「何にもやっていない」という捉え方になっているということに気づいたんですよね。
まずは、「今日、これをやったよね」「今日はこれができたよね」ということを事実として見ることを意識しようと思っています。
改めて「休む」という行為を通して、「ちょっと休む」と「完全に休む」では自分が求めていることが違うということもわかって、面白い発見でした。
今の私は、「完全に休む」を欲しているので、色々な感じている自分を解放して、許してあげています。
「甘々で、いいのさ。」と、今日もじぶんに声をかけてみます。