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社会人大学院に2年間通って、私が身につけたことは一体何だったのか。

私は、立教大学大学院リーダーシップ開発コース(以下、LDC)に通い、組織開発や人材開発について専門的に学んできました。今年の4月に卒業予定の修士2年生です。

3年前の夏に「大学院に通いたい!」と猛烈に沸いた熱意と共に、28歳で受験を決めて、仕事の合間に受験勉強に励み、無事に合格。合格した時は本当に安心してホロリと涙が流れました。合格までの道のりは以下のnoteにまとめています。

なぜ、大学院に通いたかったのか。それは、実践現場でどうしたら良いかわからない複雑で絡み合った問題や課題にぶつかったときに、想いと熱意はあるけれども、それ以上の知識や知見を持ち合わせていない自分に気づき、悔しい思いをしたからでした。

下記のnoteは入学して間もない頃に書いているnoteで色々と書いてはいますが、シンプルに、人の役にもっと立てるようになるために学びたい、という気持ちが一番強いです。その想いは今も変わっていないです。

LDCは社会人大学院なので、授業は基本的に金曜日の夜と土曜日。オンラインでも参加可能で、必要に応じて大学へ足を運ぶ、というスタイルだったので、遠方の私でも通うことができました。

大学院での2年間は本当に濃くて濃くて濃い2年間でした。あっという間だったけど、それ以上に記憶に残っているものがたくさんあった。

改めて経験と学びの棚卸しをしようと、この2年間の記憶をnotに綴っておくことにしました。私はこの2年間で一体、何を身につけたのか、2年間を鮮明に振り返りながら言葉にしていこうと思います。


批判的思考と議論の質

まず一番に出てきたのが批判的思考と議論の質、でした。入学した当初の私は「対話」とか「共感」とか「他者理解」というコミュニケーションをとても大切にしていました。(今も大切にしています!)

一方で、大学院の世界に入ってみると、対話の文化はもちろんあるのですが、特に「理解」するまでに批判的な思考が何度も繰り返されていました。

そして、「理解」というものは他者理解というよりも、事象や研究に対する「理解」であり、関係性構築を目的とした「共感」はあまり必要がない。

「この課題に対してAと言えると思うんだよね。」
「そっかそっか、そう言えるんだね。確かにね〜。」

というコミュニケーションを取ってても仕方ないんです。恥ずかしながら、ここが私の最初の難関でした。どうしても、「共感」と「理解」のコミュニケーションを関係構築ベースで取ろうとしてしまう。人の癖って、染み付いているんですよね。

研究という世界は、「Why」の繰り返しです。

「この課題に対してAと言えると思うんだよね。」
「なぜ、そう言えるの?」
「なぜなら、先行研究で◯◯というものがあって」
「その先行研究がなぜその課題と結びつくと言えるの?」
「こういう理由だから」
「それに対してCという先行研究はみたの?」

こういう議論と、批判的思考を何度も繰り返していくことで、研究が磨かれていきます。

この議論に最初は慣れず、「しんどいぞ….」と感じることがあったのですが、いかに自分が批判的思考に慣れていないかに気づくことができました。この議論において、私が最初に抱いた解釈は「詰められている」ように感じてしまっていたんですね。そのため、まず私はその解釈の認知に気づくことから意識をしました。できるだけ、メタで繰り広げられている議論を眺める感じですね。解釈に対して認知ができるようになると、リフレーミングがしやすくなります。

「詰められている」→「自分の研究をより良くしようと議論をしている」

というような感じですね。今はもう、詰められていると感じることは少なくなりました。何度もその体験を経て、脳が、「必要なこと」と理解しているのだと思います。

最近、お亡くなりになってしまいましたが、一橋大学名誉教授の野中郁次郎先生は「知的コンバット」という言葉を残されています。

全身全霊で向き合うためには二人、ペアであることが最適です。同時に、双方の目線が上向きや下向きではなく、真っ当に向き合っていることが大事です。それでもそう簡単にはコンセプトは出てきません。「知的コンバット」を何度も繰り返す必要があります。双方が感じた異なる直観を、真剣勝負で何度もぶつけ合いながら、ようやく「こうとしかいえないよね」というコンセプトにつながっていくという感じです。この「共同化」のプロセスがない限り、組織で「知」を生み出す、イノベーションが起こるということはあり得ません。

知識の創造はコミュニケーションから始まる
野中郁次郎一橋大学名誉教授 x 鈴木義幸コーチ・エィ代表取締役社長 対談より抜粋

「違う」ことや「異なる」ことは「知」を生み出すイノベーションにおいてとても重要である。

大学院を通して、私はこの批判的思考を体感として学び、組織やチームを本当に良くしていくためには、本気で知的コンバットをする姿勢をとる、という覚悟を学んだと思います。

もちろん、どんな議論においても相手へのリスペクトは大切に。その上で、研究や取り組みそのものを磨き上げるための知的な闘いは本気でやる。同級生や先生から、その姿勢はたくさん見てきました。

この「学び」や「研究」に対する姿勢と在り方は、仕事にも活きていると感じています。

「うまくいかない」を自分ごとにすること

次に、「うまくいかない」を自分ごとにすることも、大学院で常に問われ続けたと思っています。

組織開発や人材開発の研究、勉強をしていると「より良いチームとは」「より良い組織とは」ということを専門的に学び、議論します。その度に、「自分の会社や組織、チームはどうだっけ?」とブーメランのように自分に跳ね返ってくるんです。

「この事例に出ていたA社はマネージャーがコミュニケーションを取れていないよね」
「経営者のリーダーシップが足りていないのでは?」
「従業員が、心理的安全性を感じられていないから意見が出ない可能性がある」

自分がそうやって客観的な立場で言葉を発するたびに、「自分の組織はどうなの?」と。

LDCでは1年次にワークショップ開発やチームワークで組織開発の伴走を実施します。チームなので、もちろん色々なことが起こります。うまく議論が進まなかったり、モヤモヤしたり、コンフリクトが起きたり….その度に、「うまくいかないなあ」と思っても、その状況をどうより良くしていくか?を学びにきている以上、向き合い続けるしかないんです。

これは大学院に限らず、自分の仕事やプロジェクトでも同じことが言えます。嫌だなあと感じる人、上手いかないなあと感じるコミュニケーション、成果が出ない結果…これら全て、どうすれば良いのだろうか?自分にできることは何かあるだろうか?と自分ごとにして向き合うことでしか前には進まない。

もちろん、場合によっては撤退するべきこと、手放した方が良いこともありますが、それは向き合いきったその先の結果でしかないです。初めから「もういいいや」と手放してしまったら、何のために組織開発や人材開発を学んできたのか、となるわけです。

これは正直、とてもキツイと感じることもあります。他人のせい、環境のせい、何かのせいにしていた方が楽ですし、向き合うことをやめたくなることだって、私は普通の人間なのであります。

でもそれでも「何か糸口はないだろうか」と自分ごとにして向き合い直してみること。この精神力も、大学院を通じて磨かれていったと思います。

理論と実践の往還の方法

最後に、理論と実践の往還の方法です。LDCは特に、研究者を育てるよりも、アカデミックプラクティショナーを育てる大学院です。

アカデミックプラクティショナーとは、理論と実践を往還できる人。つまり、研究で学んだ知見や知識を現場でも活かすことのできる人を指します。

大学院に入学する前の私はこれまでの経験や持論で研修を作ったり、場づくりをやっていたところがありました。「なぜ、それが良いのか?」と問われても、前の経験でこうだったから、前の参加者がこういう反応だったから、と自分の成功経験に依存して、理論的に説明ができない状態でした。

大学院に入学後は、この理論と実践の往還を常に問われました。

「現場ではこういう声があり、整理するとこの課題が特定されました」
「それを、研究の世界では何と言えますか?」

先生との個別面談では、このようなやり取りがあるので、私は必死に考えます。引き出しが少なすぎて最初は何にも思い浮かばない……

現場で拾ってきた声、自分の頭で整理した課題。研究の世界で表現するとするならなんと言えるのか。とにかくこの理論と実践の往還を何度も何度も繰り返して、絞っていきます。

現場の課題と理論の整理。miroでまとめていました。

もうひとつの難関は、私はここでした。引き出しがないから、増やすしかない。先行研究の海に潜った時期でした。似た課題を取り扱った先行研究を片っ端から読んでいき、キーワードを拾ってまとめる。

当たり前ですが、地道に地道に、進めていくことでしか光が見えない。面談を担当してくださった先生は、「毎日1論文を読みましょう」とアドバイスをしてくれたので、毎日1論文を目標に、この時は向き合っていました。

・クライアントの抱えている課題を深堀する。深堀をして焦点を絞って整理をする。
・クライアントの言葉を翻訳し、学術概念に近づけていく。
・まず一番最初のゴールは、「キーとなる学術概念」を明確にすること。それをクライアントと握る。その後、「キーとなる学術概念」に影響を及ぼす。抱えている概念は何で、それを起こしている最も重要な問題は何で、それを引き起こしている要因は何かを明確すること。
・数ヶ月でどんなインパクトを残すか?何を変容させるか?限定的に決める。このプロジェクトを通して誰の何を変えることでどう改善できるかということを示して、クライアントと握る。

実際に私が2年次の個別面談で残していたメモ

この理論と実践の往還も苦しかったけれど、身についた一つだと思います。大学院を卒業した後も、この理論と実践の往還をするためには、日々の勉強が欠かせません。

なぜなら、引き出しがないと往還ができないから。何にもしないでいると、容易にただのプラクティショナーに戻ってしまいます…

この理論と実践の往還の方法を学んで、実際に仕事やプロジェクトにも活かせています。(もちろん、まだまだ特訓中)


以上が、アカデミックという世界に初めて飛び込んでみて、これまで自分が培ってきたことや得てきたことをアンラーニング(従来の知識やスキル、価値観を見直し、取捨選択して、新しい知識やスキルを習得すること)して、色々とインプットとアウトプットをチャレンジして身につけてきたことです。

個人的には、これまでの自身のスキルや経験を「アンラーニング」できたことが何よりも大きかったかもしれません。アンラーニングができる機会ってそんなに多くないのと、アンラーニングする必要性を感じないことの方が多かったりするんですよね。

そういう意味で、私は大学院を卒業したらまた「アンラーニング」にチャレンジできる場所と、学びを深める場所をまた開拓していくのだろうなと思います。自分でつくることも含めて。

この2年間の大学院での学びを糧にしながら。


2年間、共に過ごした立教大学。
先生と大切な仲間・友人と出会えたことがいちばんの財産です。

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