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造形教育が学びを変える「正解に縛られるのをやめましょう」

造形活動や造形表現には「正解がない」
正解がなかったら、学びはどこに到達すればいいの?
正解がなくても、それぞれの解に到達できます。

これは、タコ糸に墨汁を付けて、画用紙の上にぐにゃぐにゃとした感じで置き、画用紙で挟んでその糸を引き抜きます。糸についていた墨汁が画用紙にこすれてできた表現です。
これが「いいか、悪いか」「正しいか、正しくないか」「うまいか、下手か」そんなこと考えてもしょうがないですよね。
「正解がない」または「間違いがない」と言えばいいのでしょうか。
正解がなくても解はあります。一人一人がみんな解を出せます。
正解がないということは、間違えもない、全てが正しいともいえる、ということでしょう。
だから、造形活動では、子どもたちは安心して活動ができます。


おもしろい形から自分で発想

この表現、ただ単に偶然の表れだからみんな違う。だから正解がない。
それだけじゃないんですよね。
みんな違ってみんないいから安心して活動できる。思いがけない面白い表現が生まれるから楽しく活動できる。
安心して楽しい活動であれば、自分からもっともっとやってみたくなる。こうやったらどうなるだろうと試行錯誤が始まり、自分から考えるようになる。これが自ら学ぶ姿です。

学校の授業では、ほとんどの教科が正解を求める学びです。それも必要な学びであり、むしろ学習では重要な位置を占めるものであると言えるでしょう。正解を求めるために、知識をもとに自分でいろいろ考えることは大切な学習です。
ここで問題なのは、正解に縛られてしまうことです。
正解にたどり着くことだけを目標にしていたら、
「正解でないものはすべて否定されてしまう」
「正解にたどり着くまでの過程がないがしろにされてしまう」
「できたかできないかだけで学習の成果が判断されてしまう」
こんな状況はないでしょうか。
これでは、本当に学ぶ楽しさ、自分で考える楽しさが失われてしまうのではないでしょうか。
正解を求める教科でも、正解に縛られない学びを求めていきたいですね。

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