『学力は「ごめんなさい」にあらわれる』【基礎教養部】
本記事は、J LAB図書委員会の活動の一環で作成されたものです。
初等教育の思い出
この本を読みながら僕が実際に受けたはずの小学校での教育を思い出そうとしたのだが、なぜだかほとんど記憶がない。
小学校だけでなく、中学校、高校と12年ほど義務教育(みたいなもんを含む)を受けてきたはずなのだが、じゃあ具体的に誰に何をどのように教わったかを思い出そうとしても、ぽつぽつと少ない数の思い出を断片的に思い出せるだけで、「この先生の授業〇〇だったなー」という感想が出るほどの記憶が出てこないのだ。
まあ確かに中学校、高校の授業は1/3くらい寝ながら聞いていたし、部活や恋愛に夢中になっていたのは確かである。それなのに小学校で受けた授業は、寝ていたのかどうかすら記憶にない。「受けた記憶がほとんどない」というのが正しい。しかし通知表によると、授業態度は悪くはなかったようだ。なぜ記憶がないんだろう。
一応覚えている初等教育をいくつか挙げてみる
完食指導・・・幼稚園の頃からずっと一人で長時間給食を食べ続けた。牛乳がどうしても飲めなかったのだ。これはマジで強烈に記憶に残っている。ちなみに給食の時間に流れていたSMAPの曲は今でも嫌いである。
ディスカッション形式の授業・・・小4の担任はディスカッションが好きだった。机の配置を会議室みたいな形にして(コの字型)、進行役を一人選んで議論をさせてくれた。議論の間、先生はほとんど口を出さなかった。この教育は僕は受けてよかったと思う(恥ずかしがり屋だった僕はほとんど発言しなかったけど)。
まあこのくらいである。他の細々とした教員の工夫を凝らした授業・指導の記憶はほとんどない。
なぜ記憶がないのか。考えられる理由の一つに「記憶力が十分に成熟していなかったから」が挙げられるが、小学校卒業時点で小学校で学ぶ内容は十分身についていたはずなので(九九も完璧!)、この線はないんじゃなかろうか。それとも九九を覚えることと、日常生活の記憶は別物なんだろうか。
「小学生 記憶 ない」という何とも悲しいワードで検索してみたところ、成長段階において心理的に抑圧された時期の記憶というものは定着しにくいらしいということがわかった。参考↓
そういえば僕は小学生の頃は弱気でオドオドした性格だったので、常にイジ(メ)られる立場にあった。イジ(メ)られた記憶は先ほど例を挙げた教育の記憶よりも濃厚に残っており、今でもアイツらはぶっコロがしてやるとは思っている。これが一番ありうる原因かもしれない。
ちなみにこのオドオド性格は、父親が死んだ時に変わった。これ以上の絶望を味わうことは今後ないだろう(あったとしても自分の死だけ)という予測のもと、健気に生きております。
最後に、あってほしくない原因第1位は、「記憶に残るほど素晴らしい指導がなかった」説である。そんなわけないと信じたい。
言葉ってか数式ってか記号って大事だよねと思った話
僕は大学1年から修士1年の5年間、塾講でバイトをしていた。主に数学と物理を指導していた。割とデカいグループ会社を親に持つ個別指導塾で、どんなにヤバいやつでも受け入れますシステムを採っているようだった。ヤバいのは生徒だけでなく親も。
数学や物理が苦手な生徒を見てきて感じたことは、彼らは「言葉」をいかにテキトーに使っているかということだ。
例えば数学でいうと、
「微分」「微分係数」「接線の傾き」「導関数」
はみな一緒くたに「微分」にまとめられることが多い。
物理でいうと、
「向心力」「遠心力」「向心加速度」
はみんな「遠心力」にまとめられる(そもそもわかってない人も多いが)し、
「電位」「電位差」「電圧」
は「電圧」にまとめられることが多かった。
そしてそういう子に限って、話すのが下手なのだ。「学校でこんなことあってー」の話がうまく説明できていない、伝わらない。話が飛ぶ、突然知らない個人名が出てくる、違う人がしたことなのに主語を明記しない、など。聞いてくれる相手の理解度をまるで気にしてくれていない。
これもやっぱり本書にあるような「ことばの教育」を十分の受けなかったことに起因するのだろうか。
言葉を大事にしないから誤用する。「聞く」を学ぶことで意識される「相手の存在」に配慮できない。だから逆の状況になっても「聞く」人へ配慮した話し方ができない。
本書に書いている「話す」「聞く」…もそうだし、勉強で学ぶ用語もそう。辞書(教科書)的な定義をしっかり学んでほしい。そして、それを自分がどう使っているかへの意識、どう伝えるかへの意識、相手に伝わっているかという配慮、これをぜひ学ぶべきだと思った。僕も気をつけます。
とりあえずネットでうんこの投げ合いをしている良い大人たちは全員この本読んだほうがいい。