<書評>『不条理と反抗』
『不条理と反抗―形而上的反抗、ドイツ人への手紙― La Revolte Metaphysique, Lettres a un ami Allemand』アルベール・カミュ Albert Camus著 佐藤朔、白井浩司訳 人文書院 1953年初版、読んだのは1979年版。原題を忠実に訳すと「形而上学的反乱、あるドイツ人の友への手紙」。
本書は、『異邦人』や『ペスト』の小説でノーベル文学賞をもらい、アルジェリア独立を支持した作家・哲学者であるアルベール・カミュの、第二次大戦中から戦後初期のエッセイをまとめたものである。そして、戦中戦後のフランスを代表する新進気鋭のジャーナリストとして、ニーチェ、シュールレアリスム、ニヒリズム等を論評したエッセイをまとめたものが、前半の「形而上的反抗」であり、ナチスドイツによるフランス占領時から連合軍により解放までの時期に書かれた、ドイツ人の友を対象にした手紙形式の文章が、後半の「ドイツ人への手紙」となっている。
カミュは、一般的に「不条理の作家」として知られており、ジャンポール・サルトルと同時代に活躍した実存主義哲学者の一人でもある。またサルトル同様に(コミュニストへのシンパシーを持った)政治活動を行った思想家として認識されている。そのため、第二次世界大戦後から20年ほどの間は、世界をリードする思想家と見なされていたが、カミュは1960年に死亡しているので、未完の思想家というイメージが強い。
また、カミュは、サルトルとともに左翼の思想家であったが、本書の解説を読むと、サルトルと政治的かつ思想的に対決し、最後はコミュニズムに否定的であったとされている。実際、アルジェリア独立運動が過激化する中で、カミュは運動から退くようになり、これを左翼陣営から強く批判される中で死去しているから、本書を発行して以降、サルトルとの論争を経て、(過激路線を放棄して)穏健な思想家に変化していったのだと思う。
最後は穏健な思想家と見なされたカミュだが、上述のような左翼運動に傾倒していた時期であるため、本書の「形而上的反抗」では、コミュニズムに大きな期待と理想を持つ内容となっている。その理由としては、第二次世界大戦において、反コミュニズムであるナチスドイツと戦った経験から、資本主義とともに勝者となったコミュニズムに希望を抱いていたことが挙げられる。また解説によれば、その後スターリン批判をして、サルトルと反目したということだから、当時はコミュニズムにユートピアを見ていたし、またユートピアのように見えたのであろう。
こうした政治的歴史的背景のある「形而上的反抗」の各エッセイは、ジャーナリストとしての理解しやすい文章で書かれているので、大衆にアピールするためには効果的だったと思われる。しかし、今現在の視点からみれば、すでに「過去のもの」、「ユートピア的理想論」という印象が強くなるのは致し方ない。そのためか、そこに哲学者としての様々な洞察や思考実験の後を、私は十分に読み取ることができなかった。つまり、単純なアジテーションのエッセイにしか読めなかったのだ。
それは、「ドイツ人への手紙」ではより一層顕著になっている。フランスを占拠して勝者であったドイツ人から、ナチズムの理想を吹聴されたことに対する感情的な反論と、さらにドイツ軍によるフランス人虐殺に対する恨み、そしてドイツ人が敗者となった後の、勝者としての高ぶる感情を交えた意趣返しが、冷静的とは言えぬ表現で執拗に書かれているように、私は読んでしまった。そこに、思想家としての歴史や事件を昇華した後の思想が、読み取れなかったのだ。
こうしたことを総括すれば、本書はカミュという人間の思想的歴史を辿る資料にはなるが、それ以上でもそれ以下でもないという結論に、私は至ってしまう。これから、『異邦人』を再読し、さらに『シーシュポスの神話』を読む予定だが、カミュやサルトルがもてはやされた「実存主義」と「社会(政治)参加」の時代は、1968年のフランスの学生による「革命」が、結局茶番にしか過ぎなかったという歴史的反省を契機として、時間の経過とともにその意味を矮小化している事実から、何も得るものはないという予感がする。
一方、上記の事実に反比例するように、カミュが「ナチス協力者」として否定した、ニーチェやハイデッガーが力強く復権していることは、時代の流行となるような思想よりも、歴史の反省に鍛えられた思想が持つ底力(実力)による、自然な結果であると、私は愚考している。
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