<書評>『<子供>の誕生』
『<子供>の誕生―アンシャン・レジーム期の子供と家族生活― L’Enfant et la vie familiale sous l’ancien regime』 フィリップ・アリエス Philippe Aries著 杉山光信・杉山恵美子訳 みすず書房 1980年 Editions du Seuil, Plon, Paris, 1960.
アンシャン・レジーム(フランスの16~18世紀)という言葉が書名に付いているが、扱っている時代は中世末期(14~15世紀)から近代(19世紀末から20世紀前半頃)である。そして、書名の『子供の誕生』という言葉をそのまま鵜呑みにすれば、まるで家庭に子供が生まれたことを意味するように取られてしまうが、<>でくくってあるように、ここで述べる対象となる「子供」は、人類、特にヨーロッパの歴史において、「子供」という存在、そのイメージが、どうように社会的かつ文化的に生まれ(成立し)てきたかを、歴史的に跡付けたものだ。(参考までに、英訳された書名は『子供の時代(Century of childhood』である。)
そもそも、現代に生きる私たちにとって「子供」という概念は自然なもので、また大人に対する子供という存在は、それがあって当たり前のものとなっている。しかし、アリエスの研究結果によれば、少し前までのヨーロッパにおいては、「子供」とは「小さな大人」と認識されており、(そのために、現代のような子供専用の服はなく、大人と同じ服を着ていた)、子供としての特別な扱いはなかったのだ。
そのため、今では問題になっている児童労働という概念も当然にないから、子供は大人と同じように生活し、同じように働いていた。勉強するのは、子供だけの特権ではなく、子供であろうが大人であろうが「勉強できるものが勉強した」のだった。
中世の子供の教育機関としては、キリスト教会による神父育成機関として学校があった他、児童教育は各家庭で行われていた。初歩的な読み書きを終えた後は、特定の職業に携わり、そこで仕事をしながら社会人としての教育を受けていた。その後、グラマースクールの前身としてのラテン語学校が多く発生した。また、パブリックスクールの前身としての、自由学校という、貧乏な庶民も無償で受け入れていた学校ができてきた。
これが、今日の学校の成立過程だと著者アリエスは教えてくれる。そして、このほかに本書の中には、子供・学校・教育だけでなく、社会全体にわたる非常に示唆に富む記述が随所にあった。それを、抜き書きして紹介したい。
〇 労働に対する意識
古い社会では、労働は一日のうちに今日ほど多くの時間を占めていず、世論の上でも重要視されることはなかった。つまり一世紀ほど前から私が労働に認めている生活上の価値は、有していなかった。労働が今日と同じ意味を持っていたとはほとんど言い難いのである。(P.70)
〇 ハロウィーンの原点
かれら(中年にさしかかった夫婦と老人が家から出てきて戸口の昇り段で待ち受けている)はわが家へと向かってくる少女たちの一団を迎える準備が整ったところなのだ。そのうちのひとり、先頭の少女は、果物と菓子でいっぱいになった籠を携えている。この若者の一団はこうして戸口から戸口へと廻り、各戸がかれらが唱える祝いの言葉の返礼として食べ物を与えるのである。(中略)仮装した子供の楽しい祭りが厳粛な宗教儀式のすぐ後に続くのを、世論はもはや看過しなくなったのである。(中略)アングロ・サクソン系のアメリカでは、ハロウィーンとして生き残った。(P.75 五月祭及び十一月祭の光景)
〇 イギリスのオックスフォードとケンブリッジの来歴
イギリスでは、大学と結びついていたラテン語学校(ラテン語文法、修辞学、論理学)は、すなわちオクスフォード大学とケンブリッジ大学のカレッジは、大学と結びついていない他のラテン語学校から分離していた。通常のばあい、自由学問(幾何学、算術、天文学、音楽)の勉学はその学生の最寄りのラテン語学校で始めるものとされていて、ロンドンにあるセント・ポール寺院の学校では十四歳の年齢に達するまでは入学することができた。(P.137)
〇 ヨーロッパを放浪する少年留学生のグループ
(ヨーロッパの学校から学校へ放浪する少年集団へ)家族は少年をより年長のものに委託したのであり、従ってそのことで危険な生活から守られるとともに、修練についても期待されていた。先輩の生徒は道徳にかんして父権の委託を受け入れていたのである。この権威は往々にして濫用されていたけれども、その配下――ないし犠牲者--たちによってのみならず、世間的にも認知されていたのである。新入生徒と先輩生徒との間にあるこの絆については、それた絶たれる、とくに新入生徒の側から絶たれることは、世間の良識の容認せぬことであった。(P.236)
〇 学校と軍隊教育との関連
学校と軍隊教育との関連ナポレオン一世が、第一帝政下において分離されるようになったリセ(現在の高等学校)とコレージュ(学寮)という二つの中等教育の施設に対して、軍邸規律に近い厳格さと服従の原則を考えていたことは、論じるまでもなく周知のことである。(P.251)
この他、学校では現代の日本に良く見られる、(特に体育会部活での)先輩・後輩の陰湿な序列や、先輩から後輩に対する奴隷的支配、(様々な家庭環境の子供を多数受け入れることによる)荒れた教室、田舎から都会の学校に通うために下宿する子供などの描写が、様々な箇所で描写されている。
こうしたことを読み進めていくと、現代日本の教育問題とされている大半のことは、古代エジプトの文書に「今どきの若者は」と書かれているのと同じ感慨をもたらせてくれる。つまり、子供の(軍隊のような厳しい)教育とか学校の(先輩後輩などのいびつな)人間関係とか、そういった諸々のことは、何も現代日本に限ったことでも、また現代日本の教育が抱えている根本問題ではなく、昔から学校・教育・子供というものに結びつけられている、解決のための妙案がない問題なのだと、著者アリエスが教えてくれる。
そして結局、こうした問題は、大人たちが喧々諤々の議論をしているうちに、当事者である子供はあっという間に大人になってしまい。自分たちの子供時代のことはとっくに忘れて、子供たちに対して、「自分が子供時代に大人にされたこと」をそのまま無自覚にやっていることで、自然に消化(昇華?)されているのではないだろうか。
そして、子供に関する問題を解決する妙案は、ただ「時が解決する」、あるいは「大人になれば大丈夫」ということに、行き着いてしまうように、もう老年になった私は思ってしまうのだ。もっとも、こんなことを言うと子供の側からは、「そういう意見は受け入れられない!」と反論してくるのだろう。そして、反論した子供は、10年もすると私と同じ大人の側に入っているのだが。
ところで、著者アリエスが自身を「日曜歴研究者」と称しているのが面白い。これは、プロの画家に対する日曜画家という名称を援用したものだが、なぜそう自称したかと言えば、アリエスは歴史学の教授になろうとしたが、第二次世界大戦及びナチスドイツによるフランス占領等の様々な事情でなれなかった。そのため、ドイツ占領時及び戦後は、別の仕事をしながら図書館に通うなどして歴史の研究を行い、その成果を本として出版した。出版した著作は、フランス国内の学者からは「非アカデミック」として無視されたが、アメリカにおいて「新しい歴史学」として高く評価され、フランスに逆輸入される形で、アリエスの歴史学者としての評価が高まったという経緯による。
もちろん、大学などの研究機関で専門の学問を研究することは重要だし、その成果や必要性は認めるが、一方では、こうした「市井の研究家」という存在も、とりわけその専門性に縛られない自由な視点という特徴から、有益な成果を得てして挙げることがあるというこことだ。そういえば、アインシュタインも、大学教授の職に就けなかったため、スイスの特許局に勤務しているときに、人類史上歴史的かつ画期的な特殊相対性理論をまとめたのだった。
結論。この世の真理を知るためには、「王様は裸だ!」と言える少年の視点が必要なのかも知れない。