<書評>瀧口修造『余白に書く』
(前口上として)
今朝「現代詩読本 瀧口修造」を投稿したとき、私は、現代詩とか、シュールレアリスムとか、瀧口修造とか、そんなことを書いても、noteの読者で関心持つ人は皆無だろうなと思っていた。なにしろ、今の最大公約数としての読者層には、ファンタジーとか、高校生の恋愛ドラマとか、警察・弁護士・医者絡みのミステリーとか、そんなものしか関心を呼ばないと思っていたから、「どうせ誰も読まないだろうな」と思いつつ、自己満足的に投稿してみたら、なんと5人も「いいね」をしてくれたではないか!
「いいね」をしてくれた人たちには、改めて感謝申し上げるとともに、数少ない「同士」として、ささやかな共感を覚えた次第。そして、「柳の下の泥鰌」ということで、ここがチャンスとばかりに、以前に投稿したものをリンクするとともに、これまで書き溜めた瀧口修造と現代詩に関するものを、連日投稿させていただきたく・・・。
瀧口修造の『余白に書く』を、カッシーラー『シンボル形式の哲学』を難読する合間に、息抜き的に読んでいる。それは芸術評論でありながら、同時に現代詩になっていて、朝ドラで古本屋の詩人が出てきたことも「契機」と感じたので、個人的に響いた言葉を抜き書きしてみた。なお、( )内は注または私の感想。
・夜があまり疾いので、いちばん大きい火を消し忘れた。
(「疾い」は「速い」と読む)
・「デュシャンはもっと大きなガラスの中に入って終いました」
(デュシャン未亡人への弔電。マルセル・デュシャンは、通称「大ガラス」に代表される20世紀最高の芸術家の一人で、瀧口の友人でもある。)
・この日、私にとってすべては余白。
(私の人生も、すでに「余白」=「余生」になっている・・・。)
・二月某日
ここまで書いたところでわが身に急変あり。“ああ”これが私の絶筆というものになるかも知れぬぞ・・・と思いながら救急車のタンカから夜明けの空をあおぐ・・・寒風におそろしく雲足が早い。
―――然し、私は救われた。仮りにも・・・
(私も、2021年2月、人生2回目の救急車でルーマニアの病院に運ばれた。小雪がちらついた朝で、救急車内で世話してくれた息子のような年齢の青年が、英語で優しく状況を説明してくれた。病院の古びた外壁の赤い十字が、どこか死の予感を示していたが、9日後、私は3回目の救急車で我が家に「仮にも」生還した。暗く冷え込んだ冬の夜、厚手のダウンコートを着た妻が、道端で私の到着を待っていた。不安と喜びがない混ざった表情だった。)
・「どこにも存在しない土地」に向かって、
ふたたび旅立とう。
たとえ信頼される地図はなくとも!
(私の大好きな詩人吉田一穂の「白鳥」にある、「紛⦅なく⦆したサンタ・マリヤ号の古い設計図」という言葉を思い出した。ちなみにサンタ・マリヤ号はクリストファー・コロンブスが新大陸に向けて航海した船の名。コロンブスも、吉田一穂も、瀧口も、地図のない世界を航海していったのだと思う。・・・そして、私の前途にも、当然地図などはない。そもそもそんなものは創れないのだから。)
・物がことばになるとき、
ことばが物になるとき・・・
自分の鋏のしたの人生。
『言葉と物』というのは、フランスの哲学者ミシェル・フーコーの20世紀後半の記念碑的論考の書名だが、瀧口のいう「ことば」はフーコーの意味する「言葉」ではないが、フーコーの「物」が言葉が志向する対象であれば、瀧口も同じ意味で使っていると思う。
カッシーラーは、『シンボル形式の哲学』において、一般的に考えられるように「物」が先にあって、後から「言葉」が発生したのではなく、始原状態の人類に生じたある総合的な概念から「言葉」が先に発生し、後から「物」と関係づけられた、と論述している。
瀧口の「ことば」は、カッシーラーが論考した言葉とまったく同じ意味ではないが、始原状態の人類が発した言葉(音声)に近いものだと感じる。そうして、自分の「ことば」と「物」とを結びつけ、あるいは断ち切るその行為自体が、「自分の鋏のしたの人生」という表現になったのだと思う。この行為はまさに、「言葉」を持って行う表現者の姿そのものであり、また「詩人」・「文芸家」である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?