小説「Hさんについて」
とあるバイト先には主婦の方も多くおられて、私はその中でも若い方で、フリーターも珍しくはない中、とりわけ可愛がられていたのですが、そのうちの一人、仮にHさんという方について話したいと思うのです。
Hさんは主婦でした。それもどちらかというと、いかにもというのか、見たまんまというのか、悪く言うつもりはないのですが、芋っぽいと言えばいいのか、ひと昔前の主婦といった感じの方でした。サザエさんのようなクルクルの黒髪にオシャレ要素のない眼鏡、痩せた体にやや猫背。ははあ、なるほど、見た感じからして不器用なのが一目で分かりました。
バイトはスポーツジムの清掃員でした。私はここで週二日しか働いておらず、他の日は家でしがない物書きをしていたものですから、あまり職場のことは分からなかったのですが、なにぶん私とHさんは入社時期がほぼ一緒で、だからかもしれません、私はなぜか仕事のできないHさんに興味を惹かれていたのです。
いえ、それは決して恋や愛と言ったよこしまな感情ではなく、なんといえばいいのでしょうか、どこか似たもの同士というのか、なんとなく放っておけない相手というのか、例えば捨て猫なんかを見ても、ああ、捨て猫だ、まあ誰かが拾ってくれるだろう、と気にもしないのに、遠くでホトトギスが鳴いているのを聞くと、やあ、あいつにはまだ嫁が来ないのか、可哀そうに、と同情をしてしまうような、そんな感情が近いと思うのです。
同情。そうです、私は偽善者なのです。Hさんは見た目通り、仕事ができませんでした。よく社員の方に怒鳴られていたし、確かに同じミスを何回も繰り返すわ、平然とシフトを間違えて遅刻はするわ、一のことをやれば他のことが抜けるといった性分で、私ですらとっくに覚えた簡単な作業でさえもなかなか覚えられなかったようです。
しかし、私はそんなHさんのことが憎めませんでした。
シフトが一緒になったとき、私はさりげなく聞いてみました。
「どうしてこちらに来られたんですか?」
「家が近かったのもあるけど、――」
彼女が目をやる方では、ダンス系の激しい音楽が流れていました。
「あれ、知ってます? エアロビクス。わたし、あれが好きで、実はここにも何回か通っていたこともあるんですよ」
照れながら彼女は続ける。
「本当はわたしもあんな風に教えてみたいんですけどね。でも、わたしご存じの通りドジだし、仕事はできないし、だからこうして見ているだけでいいんです。それでいいんです」
梅雨の晴れ間がガラス窓の向こう側で光っていました。私はそれからしばらくHさんとは会いませんでした。噂で聞いたのですが、彼女はどうやら私以外の人には横柄な態度のようで、私はいつも彼女の悪い噂を聞かされる度にドキドキしたものです。
「彼女、すごく反抗的なんですよ。この前なんて、また例のごとく遅刻をするもんだから、少しきつめに灸を据えたんです。そしたら彼女、あろうことかシフトが悪い、そんな小さなシフト表では間違えたって仕方ない、と逆切れしてきたんですから。もう、本当に腹が立ちましたよ」
私はなにかの間違いでは、と思いましたが、どうやらそれは間違いではなく、彼女はかなりの問題児だったようで、それなのになぜか私には優しく、いや、または仲間だと思っていたのかもしれませんが、私と接するときの彼女からは想像もできないことでした。
あるとき、ひどい雷が鳴りました。空は青々と光り、天地がひっくり返るほどの轟音が鳴り響きました。私は雷が大の苦手で、腰が抜けそうでしたが、それを見たHさんが私の近くにきて、
「大丈夫! 男だろ!」
と聞いたこともないような声で私を鼓舞したのです。私は思わず吹き出して、大声で笑ってしまいました。雷の青白い光で、Hさんの笑っている顔がはっきりと見えました。
ああ、そうか、今分かりました。
Hさんは私自身の母に似ているのでした。芋っぽく、田舎臭く、不器用で、おしゃれではなかった母に。
私は特に母に対して反抗的でしたので、母に弱いのです。母が不幸になるようなドラマや小説を読めば必ず涙を流します。私はおそらく、そんな目でHさんを見ていたのです。
「よかったら、エアロビクスやってみませんか?」
ちょうど人が足りず、誰かいないかと社員さんが探していたので、私はHさんに声を掛けてみました。彼女は照れながら首を横に振りました。
「やりたいけど、わたし不器用だから……。でも、一度だけ、チャレンジしてみようかな」
それからしばらくして、Hさんが上の人と揉めて辞めたということを聞きました。
だから私は今でもエアロビクスの教室の前を通る度に、ふと彼女を探してしまうのです。そうして、そういうときは、大概心の中にある寂しさが膨らんで、バイトなんかさっさと辞めて、正規雇用として母を安心させたい気持ちに駆られるのです。
昨晩も雷が夜を光らせました。私は、やはりHさんを思い出し、そうして、翌日のバイトを辞めようか本気で悩みながら、布団をかぶって、雷の音と、遠くから聞こえてきそうなHさんの声が聞こえないように、耳を固く塞ぐのです。
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※2021年6月の作品です。
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