小説セラピー「枯れ葉の上に」(サンプル)

 木枯らしの風が私の耳を痛めつける。
 仕事が終わり急いで家に帰ると、ポストにハガキが入っていた。
「……同窓会か」
 そこには年末にみんなで集まりませんか、と簡素な文書が印刷されているだけだった。小学校の同窓会に呼ばれたのは初めてだな、と思いながら私はそれを玄関のごみ箱に捨てた。
「ただいま」
 今年小学生になったばかりの娘が抱きついてくる。私はこの子が愛おしくて堪らない。
「ねえ、ママ、どうかしたの?」
 気がつくと目に涙が溜まっていた。私は慌てて手で拭うと「何でもないよ」と言い娘を抱きしめた。
 私は小学校低学年の頃、いじめられていた。
 原因は今でもよく分からない。仲の良かったグループから急に無視されるようになって、そして陰口を叩かれるようになった。
 いじめは日を追うごとにひどくなっていった。物を隠されたり、ランドセルに落書きされたり、しまいには家に遊びに来ては家の物を盗んだり、玄関に落書きしたり、買ったばかりの親の車に傷をつけたり、今思えばひどいものだった。
 同窓会のハガキのせいで、思い出したくない記憶がフラッシュバックする。
「それを塗ったら仲間に入れてあげる」
 ある日の帰り道、アパートの駐車場で私はまたその子たちに絡まれた。
「車の筒のところにある黒いものを手で顔に塗ったら許してあげる」
 筒とはマフラーのことだろう。その内側を手で擦りタールを顔に塗れと言ってきたのだ。
 私は断った。
「嫌だやりたくない」と首を横に振った。しかし、「少しでも塗れば許してやる」という言葉に私は負けた。体の力が抜けて、抵抗を辞めた私に、その子たちは笑いながら私の顔にタールを塗った。心の奥で何かが割れる音がした。

 黒い涙が次から次へと流れたのを今でも覚えている。

 それからの記憶は曖昧で、ついに親にばれてしまい、しばらくは親の監視の元いじめはなくなったけど、それはしょせん一時的なもので、気がついたらまたその子たちは私をいじめてきた。
 落ち着いたのは三年生のクラス替えがあってからだった。けれど、それまでの二年間で、私の心には一生消えることのない傷が残った。
 その頃の私は、毎日死ぬことばかり考えていた。
 親に相談できなかったのは、心配をかけたくないという気持ちもあったと思うけど、本当はただ怖かっただけかもしれない。親にまで見放されたら、という思いがきっとどこかにあったのだろう。
 もし、今、娘が同じような状況になったらと思うと、私はいたたまれない気持ちになる。
 娘はもうすぐ二年生になる。子育てはあっという間で、ついこの間まで赤ん坊だった気さえする。
 私の親はいったい私がいじめられていることを知ったとき、いったいどんな気持ちだったのだろうか。
「ねえ、ママ、今日学校でこんなことがあったの」
 娘は身振り手振りで一生懸命に学校であったことを話してくれる。その笑顔に私はいつも救われる。でも、もし、この笑顔が嘘だったとしたら、私はどう思うのだろうか。
 ――胸がどうしようもなく痛む。
「ごめん、ママちょっとポストにハガキを出してくるから、少しの間だけお留守番しててくれない?」
 娘はほっぺを膨らませたが、私はもう一度コートを羽織って玄関に向かい、ごみ箱に捨てたハガキを拾ってドアを開けた。
 ……寒い。
 もうすぐ本格的な冬がやってくる。その前に、私はけじめをつけなければいけない。
 ふと、並木通りの向こう側から一人の女の子が歩いてきた。その子は一人ぼっちで、どこかで見たことがある顔だった。
「あっ」
 その子は私だった。
 ちょうど一年生のいじめがはじまった時期の私だ。
 驚くより、私はその子になんて声をかけようか悩んだ。その子は今にも泣きそうな顔で、一人寂しく帰宅している。きっと、急に周りから無視されて、どうしていいのか分からないのだろう。
 思い出がよみがえる。あの子たちの顔が鮮明に頭をよぎる。風が吹いた。落ち葉がくるくると回っている。私はこぼれそうな涙をぐっと飲み込んだ。

泣くな、私。

「こんにちは」
 挨拶をされて、私の顔が少し晴れたのが分かった。
「ねえ、この辺にポストないかしら? もしよかった案内してくれると助かるな」
 私は頷いた。
 不思議な感覚だった。懐かしいような、温かいような。いつの間にか風が止んでいた。
「ねえ、学校どう?」
 私は黙ったままだった。
「あなたは悪くないよ。きっと、みんなあなたが羨ましいの。確かに今は苦しいかもしれない。でも、絶対に大丈夫。あなたは強い子。そんな子たちになんて、決して負けないわ」
 私はただ黙って聞いていた。
 次の瞬間、涙が見えた。
 私はしゃがんで私を抱きしめた。
「大丈夫。今の私はとても幸せよ」
 抱きしめた顔の横で泣いているのが分かる。背中に捕まるその小さな手は、家で待っている娘と同じぐらいの大きさと強さだった。
「生きて。あなたなら絶対に乗り越えられる。私、私を信じている。私、私のことが大好きよ。心から愛しているわ」
 すると、私がもぞもぞしだし、ポケットから何かを取り出した。
「これ、あげる」
 ドングリだった。私は頷いてドングリをもらった。
 風が吹いた。
 気がついたら私はいなくなっていた。目の前にはポストがあった。私はポケットからハガキとペンを取り出して、その場で「欠席」に丸をした。

 さようなら、私。

 私は急いで家に戻った。愛する娘が待っている。
 ドアを開けた瞬間、私は娘に駆け寄って、力いっぱい抱きしめた。娘はなにも言わずにただ抱き返してくれた。しばらくして、娘が言った。
「ママ、これなに?」
 娘がポケットに手を入れた。
 そこには私からもらったドングリが入っていた。
 娘がドングリを見て笑っている。それを見て、私はようやく泣いた。今までの分を取り戻すように、思いっきり声を上げて泣いた。
 胸の奥が熱かった。
 ありがとう、私。
 もう、大丈夫だから、一緒にたくさん泣こう。



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