小説「洗濯物」

 洗濯物が揺れている。ベランダで風に揺れている。その全身に日光を浴びて、ハタハタといかにも気持ちよさそうだ。季節は一年を通して最も過ごしやすい春と夏の境目、私は今日、生まれて初めてずる休みをした。つい先日、勤続二十年の表彰をもらったばかりだというのに、心地いい陽気のせいかもしれない。
 妻はパート、娘は学校に行っている。私はリビングで一人ビールを飲みながら、ぼんやりと洗濯物を眺めている。ふと、私の黒い長袖のTシャツが他のどれよりも揺れていることに気がついた。まるでそこだけ強風が吹いているように、右に左に、今にも吹っ飛んでしまいそうなほど。その姿は子供が全力で走っているようにも見える。私は洗濯物に意思を感じた。
 ベランダに出る。予想通り風が心地よくて、ビールのせいか目がトロンとする。黒いシャツに近づく。すると一瞬止まったように見えたが、次の瞬間左右の袖口が私の体をこするようにじゃれてきた。まるで犬のようだ、と私は思いながら、それでもハタハタと体に絡まってくる袖口をなぜだか可愛く思うのだった。
 部屋に戻って、ソファに座り再び洗濯物を眺めると、洗濯物はもう先程の元気はなく、どこかしら私の方を寂しそうにジトっと見ているような気さえした。少しして、また風が出たのか、洗濯物は再びハタハタと揺れ出した。私は思った。もしかしたら、洗濯物は干されているということに意義があるのではないだろうか、と。
 長い間私の中にあった淀んだなにかが洗われた気がした。その日から私は、暇さえあれば洗濯物を眺め、洗濯物がないときは汚れてもいない服を引っ張り出して洗濯機に突っ込んだ。妻と子供はそんな私を腫れ物のように扱ったが、いつかきっと分かってくれると私は信じていた。
 いつからか、衣服は洗濯され干されるためにあると思うようになり、私は近所のディスカウントショップで安い服を適当に買ってきては着ることもなく洗濯をし、そうしてベランダに干して眺めた。そんな日々がしばらく続いたある日、妻が娘を連れて出ていった。
「服は干されるから存在意義があるんじゃないか!」
 私の声はもはや届かなかった。しかし、それでよかった。きっと、よかったのだ。私は涙を飲み込んで、今日も洗濯物を洗っては干し、洗っては干し、ただぼんやりと眺める。その繰り返し。晴れた日も、雨の日も、雪の日だって、私は服を干した。それで私の心は幸福だったのだ。
 ある日、大切に干していた例の黒い長袖シャツが強風にあおられていた。バタバタと袖をなびかせ、体全体で風の抵抗を受けている姿は心に響くものがあった。
「あっ」
 次の瞬間、シャツが風に飛ばされてしまった。急いでベランダに出る。しかし、シャツはまるで鳥のように両袖を羽ばたかせて、遥か遠くの空の向こう側に飛んでいった。
 私は泣いていた。それはあるべきもののあるべき姿をこの目でしかと見届けた感動だった。私は干してある他の洗濯物を次から次へとハンガーから外し、風に乗せるようにベランダの外に放り投げた。洗濯物たちは初めての自由に少し戸惑っているように見えたが、すぐに無限の大空へと羽ばたいていった。
 美しい光景だと思った。私は最後に、自分が着ていた服を全部脱ぐと、くしゃくしゃに丸めて、祈るようにぎゅっと抱きしめた。そうして、優しく空に投げ捨てると、そのままベランダから飛び降りた。
 最後の最後まで風が心地よかった。私は心の底から幸せを感じている。これでよかったんだ、これで。見上げると、空には私の服たちが嬉しそうに自由を謳歌していた。ああ。



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