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創造が小さく起こるのは社会を維持する仕組みなのか?

Twitterやその他SNSの「いいね」「フォロワー」を集めている投稿をみてもなかなか心を動かされない自分がいる。

それらの投稿の多くは、既に世の中にある「フレームワーク」や「科学的アプローチ」等の仕組みを活用して高い成果を出したものが多いからだ。

バズるケースの多くは、水準よりもはるかに高い成果を見せられることで興味をそそられ、ついていくケースと感じています。

なぜ、同じものを使っているにも関わらず、高い成果を上げるのか?
同じ課題に対して、より速く、うまく処理するからです。

ぱっと思いつくのは下記のようなことでしょうか。
1.複数の仕組みを組み合わせてうまく活用する
2.新しく精度の高い情報を速く仕入れ、速くアウトプットする

このような状況下では、革新的なことは評価されづらく、起きづらいのではないだろうか。
必ずしも、上記のような流れは革新を阻害するものだとは言えないが、ある本を読んでから予測から確信に少し近づいた。

創造は抑えられる?

書籍「天才を殺す凡人」は、上記のようなケース以外にも、身の回りで起きる経験から、非常に府に落ちるものでした。

天才を殺す凡人では、人の才能のカテゴリを、天才、秀才、凡人の3つにカテゴライズしています。

独創的で、人と違ったプロセスで物事を進める 天才:創造性
システムや秩序を大事にし、堅実にものを進める 秀才:再現性
空気を読み、相手の反応を予測しながら動く 凡人:共感性
※個性であって、どれが優れているというものではない。

ここで特徴的に描かれているのは、それぞれの特性によって評価が異なるということです。
今回、フォーカスしたいのは、凡人の評価軸。

凡人の評価軸は共感にあります。
今まで見た事も聞いた事もないようなことは、想像ができないため、共感ができない。
それは、天才の考える独創的なことは、受け入れられないということにつながります。
そして、人数は、凡人>>>>>>>>>>>天才…

組織が大きければ大きいほど、革新は起こらない

とすると、天才は、自分を理解し評価してもらえる世界で評価され、世界を変える第一歩を踏み出す事が役割だという事なのでしょう。

超簡単に抜粋&要約するとこんな感じです。
ここで疑問が。
人類の歴史の過程で、凡人>>>>>>>>>>>天才の人数構成になったのか?

天才、秀才、凡人の最適な人数構成

凡人の多い人数構成の場合、共感によって物事の判断を行なっていく場面が多くなります。
今の世の中であれば、失言等へのバッシングや私刑などもそれにあたるでしょうし、国会議員の票を稼ぐ方法にも影響が出ていると思います。

ハッキリ言って生きるのに快適ではないです。

それでも、現在の人類のルーツが20万年前として、その期間進化の過程を経たうえでこの人数構成となっているのであれば、最適化されてきていたのでしょう。

できの悪い天才の仮説

ただ、日本では人口が2005年頃をピークに減少している。
そして、その減少は加速し、世界の市場の影響も含めて、労働力と消費の時代から、イノベーションを必要とされる時代へ移行している。

天才が活躍しなければ、沈んでいってしまう時代だ。

とすると、この人口減少は、新たな天才、秀才、凡人の人数構成最適化に向けた、急激な人類の進化なのではないかと思います。

私は、自称 できの悪い天才だと思っていますが、微力ながらイノベーションを起こすべく行動していきます。



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