映画「ミッシング」 純粋がゆえの悪意
そうか、そういう方向性の映画なのかこれは。
題名から想像されるように、失踪した娘を探す両親がその過程で傷つき、助けられて、希望に向かっていくというような感じかなと思いながら観ていた。
そこは自分的にもかなり浅はかな見方で、娘をなにがなんでも探したいという絶望の中、それをもっと深い絶望に落とし込む闇が現代には潜んでいるということがある。報道の仕方から、SNSの拡散、見たくもないけど見なく亭はならない世間の声…、これはあまりにも辛すぎる。
失踪事件というニュースがあったところで、自分自身が親身になって行動をおこすなんてことは実際ない。自分だって、ニュースの一片をみて「こいつ怪しくね?」ぐらいの印象で、なんの責任も持たずに終わっていく。
それが当事者にとったら、どんだけ胸をえぐられていることなのかをしらされることになる。
一番印象に残ったのは両親へのロングインタビューの部分。
石原さとみが「何でもないようなことが、幸せだったと思うんです…」
その後のカメラマンのぼそっと一言
「その一言、みんな虎舞竜を思い出しちゃうと思うんですけど」
そんな不謹慎なことをとディレクターは注意するけど
カメラマンの軽い一言がすべてを物語っているようにも見えた。
「なんでもないようなことが、人を傷つける可能性」
この物語のラストをどう締めくくるかは、ほんとう難しい所だったと思う。
ただ娘を思いすぎて狂気と化していった石原さとみが
他人の家族の幸せを笑顔で見送れるようになった姿を見て泣く青木さんには
涙があふれた。
個人的には久しぶりに柳ユーレイさんを見た。
今は俳優さんに専念されてるんだ。映画「3×4=10月」でいた、どうみても普通なのに、普通の空気をださない唯一無二の俳優。
もっともっと見てみたい。