田中美津さん もしも あなたに逢えずにいたら。。。
わたしはどんな人生を歩んでただろう。。。
今年の夏、美津さんが亡くなった。この人なくては日本のウーマンリブはなかった、といわれた人だ。
波のような衝撃が強く胸を打った。
ものすごくあったかくそして強烈な美津さん。
もしもあなたに逢えずにいたら。。。
わたしは「たまたま」生まれた国を出ただろうか、その前だって、結婚制度は女性差別だ、結婚式なんかできないとカレと一部屋のアパートで住み始めただろうか。2、3年後にはカレに「守られた生活」を出て都会の真ん中で一人暮らしを始めただろうか。家族と縁が切れていたとき、何も新しいもののない正月に新しい名前を自分につけ、家族の戸籍を出て自分一人の戸籍を作っただろうか。。。
国を出てからも母親になりたいと息子二人を貰い受け、親子の絆を育てあってきただろうか。そして50に届こうという歳で夫と離婚してただろうか。
「楽な方、楽な方を選びなさいよ、。。」親鳥の周りに集まった鳥たちのような私たちに美津さんのよく口にした言葉。
それができなかった。
ただ、そう言い続けた美津さんが実は彼女の存在全体で教えてくれたのは、
自分の 自分自身の 生を生きること。
他人から見た良き人生を送るためでなく、幸せになるためでもなく、
「かけがえのない、大したことのない」自分の生を生きる。
そのせいだろう、80の声を聞こうという今も私は「普通の暮らし」をしながらも、まだ
自分の生を生きようともがいている。
これはもしかして美津さんと出逢った者たちに共通することなのだろうか。
まだ、もがいています、今も、
困ったものです、
美津さん。
そして、ありがとう。
(写真=2016年、山本友来撮影
朝日新聞2024年8月10日)
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長編:[完 ]つか子と「あの人」プロローグ・本章・エピローグ
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『みじか〜い出会い・三つの思い出』
『スイカと鳩:ひとりの小さな平和活動』 『昭和40年代:学生村のはなし』『クエーカーのふつうしないこと:拍手』
『アフリカ系アメリカ人:一瞬たりとも』 『明治の母と昭和の娘』
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