長野ゆうほ

色々混ざっているのに惹かれ、違った人々が一緒に住み合っている所にいると気が落ち着きます…

長野ゆうほ

色々混ざっているのに惹かれ、違った人々が一緒に住み合っている所にいると気が落ち着きます。ここ数十年住んでいるフィラデルフィアはその通り。普通の言葉ではなかなか表現できない変わったあるいは深い思いを表す美術音楽人々の力に魅力を感じます。団塊の世代 クエーカー

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  • 長野ゆうほのフィラデルフィア・ストーリー

    米国最初の首都、日本から移住して数十年、人種、貧富、考えの違う人々の住む愛するフィラデルフィア。この街にできる限り溶け込んで、心柔らかに生活し続けたい。クエーカー。

最近の記事

田中美津さん: ミューズカル・女の解放『オナラがなんだあ』 再考

客席真っ暗、 黒づくめの魔法使いのおばあさん、暗い舞台脇より登場。 中央で正面を向く。照明。 手に持つのはほうきでなく長い棒。その先端には押せば「ブーッ」と音のする丸いボール。 ふか〜いおじぎ、そして 超まじめな語りが始まる。 「皆さん、 オナラを我慢することは、 体にとっても悪いのです。 オナラをがまんしたために、 去年一年間だけでも、なんと一千九百二十三点五人もの女の人が おッ亡くなりになりました。 本日わたくしはこの場をお借りしまして、 おならガマン反対運動を立

    • 田中美津さん もしも あなたに逢えずにいたら。。。     

      「一体わたしはどんな人生を歩んでただろう。。。」 今年の夏、この人なくては日本のウーマンリブはなかったといわれた田中美津さんが亡くなった。 衝撃が強く胸を打った。 「もしも 美津さんに逢えずにいたら、 一体どんな人生を歩んでただろう。。。」 普通の家庭で育った私が20代のとき、ものすごくあったかくそして強烈な美津さんに出会いリブ新宿センターに通った。 もしも 美津さんに逢えずにいたら。。。 わたしは、「たまたま」生まれた国を出ただろうか、その前だって、制度としての

      • [完] つか子と「あの人」:プロローグ・本章・エピローグ

        家族の猛反対の中、東京で自立した20代のつか子。40数年後古い日記が見つかり、米国で住むつか子が20代の自分と「出会う」。つか子の胸に「あの人」との逢瀬と別れが蘇る。 命尽きる前に今一度「あの人」に会いたいと願う。ヒマラヤの麓ネパールのポカラでの再会を夢みる。思いがけなく夢が叶うがあの人は沈黙を守り自分の人生を語ろうとしない。   旅の最後の晩一つの思い出に助けられ二人は最初で「最後」のどこまでもやさしい親密な一時をもつ。   数週間後ノバスコシアへの旅につか子を誘ったあの

        • 切 花 と 先住民

           誕生日に、花の贈りものが届いた。     夫の娘さんからだ。       透明なガラスの花ビン、ワインカラーの花が美しい。   彼女とはつい最近互いの心のうちまで見せあったからなのだろうか親しみがぐんとました。     それで、この花は特別な意味をもって私の眼に映る。     じゃあ、感謝して花を楽しむ、それで良いじゃないか。。。       なのに   一夜明けて翌朝、     花を見ながら、別の感覚が目覚めた。。。     先住民レナペ族の人たちから聞いた話を思いおこし

        田中美津さん: ミューズカル・女の解放『オナラがなんだあ』 再考

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        • 長野ゆうほのフィラデルフィア・ストーリー
          5本

        記事

          人[を]見たことのない土地

          僕、そういうトコじゃないと。。。    親戚の一人、成人してからずっと米国は南西部のニューメキシコですごしている。絵や彫刻で身をたてようという人生。さしあたっての生活は家具作りで支えてきた。    ある日の電話で注文の仕事が少なくなったという話を聞いて、即、私「あら東部に来たら。ウデのいいあなたなら仕事スグ見つかると思うよ」    そこで彼の声。 それは僕にはできナイ。 自分のいるトコのそばどこかに    まだ人の足の踏みいれたことない土地がないと ぼくにはムリ

          人[を]見たことのない土地

          母の短歌9: 終りの花にやわらかさあり

          かたむいて 首かしげいる    うす色の 終りの花に       やわらかさ あり     ホームレスの 人に別けたし   このむくもり 雨もりもせぬ      小さき わが部屋     いづこにか 知るよしもなき    行先を 花咲く庭の       白き椅子に  居り         (木下タカ作) 木下タカの短歌作品 母の短歌 [1]   母の短歌 [2]  母の短歌 [3]  母の短歌 [4]   母の短歌 [5]  母の短歌 [6]  母の短歌 [7]  母

          母の短歌9: 終りの花にやわらかさあり

             救急車のサイレン

          暮れに最後の食事を届けることになった同じ年の春。親しくなった老婦人のベティにその週の分を届けていつものようにおしゃべりしていた。    とつぜん近くに救急車のサイレンが鳴り響いた。    道路沿いのベティの部屋ではサイレンは会話のじゃまだ。 「速く通りすぎればいいのに。。。」そう思って、わたしはサイレンの音の消えるのを待っていた。    その時 「だいじょうぶだといいけど。。。」ベティがつぶやいた。    「だれのこと?」 ベティは両手を重ね眠っている動作をした

             救急車のサイレン

          母の短歌8: 廃屋をめぐりてゆらぐ コスモスよ

          廃屋をめぐりて ゆらぐ   コスモスよ 元のあるじは     いかに おわすか              (地方の小さな駅)   舞い踊る 木の葉に   ほほを打たせつつ つばもう     黒き老人 こごみて進む 掻巻を かぶれば耳は   しじま聞き やさしき息は     ほほに 遊ぶ               (木下タカ作) 木下タカの短歌作品 母の短歌 [1]   母の短歌 [2]  母の短歌 [3]  母の短歌 [4]   母の短歌 [5]  母の短歌 [6

          母の短歌8: 廃屋をめぐりてゆらぐ コスモスよ

          みじか〜い出会い・三つの思い出

          [ 1 ] キューバ  ハバナで通りを歩いていると、中年の女性が私の顔をじっと見つめている。そして、左手で右の腕を上から下へさする動作をしている。 何か伝えたいのだということまではわかったのだが、それが何なのか私が知るのはホテルに戻って地元のガイドさんに聞いてからだった。 この女性は石鹸がほしかったのだった。ああ石鹸。。。持って歩いていればよかった。 [ 2] チェコ  息子はチェコのガールフレンド、エヴァが帰国すると彼女を追ってチェコの小さな町に住み移った。 翌年、

          みじか〜い出会い・三つの思い出

          夫の質問 ・ タンスの底

          夫の心臓外科の定期検診の日だ。 朝から暑くなりそうな日で、白地のワンピースを着てついて行くことにした。ヴィンテージのショーウィンドーにあったのを衝動買いしたものだ。 その昔、ダイアナ妃がチャールズ皇太子の相手と騒がれ始めた頃、若き彼女の写真が流れ、メディアの関心をかい人々の口にのぼった。 ワンピースの下にスリップをつけていないのが、日差しの加減でわかってしまったのだ。 ダイアナ妃と比べるのはおこがましいが、この白地のワンピースのため買い求めたスリップを探した。 それ

          夫の質問 ・ タンスの底

          外せないお面

          天才パントマイム師マルセル・マルソーが最後の公演にやってきた       幕が開き、舞台では「面師」 冷やかしにお面の店をのぞいたマルソー 気分にのって    いろんなお面をつけては外しつけては外し        違った表情の「自分」の顔を楽しんでいる 最後につけたのは間抜けでおちゃらけ ケラケラと楽しんだあと、外すっ!   外れない 上から引っ張っても    横から引っ張っても どうやっても   外れない 全力で引っ張っても       何として

          外せないお面

          スイカと鳩: ひとりの小さな平和活動

          「そのスイカ、好き」 フィラデルフィアの街を歩いてるとき、店で買い物してるとき、こちらの眼を見ながら、私の胸のブローチを指し誰かしらそう話しかけてくる。皆、声を上げずに。 「写真撮ってもいい、スイカ?」遠慮がちに聞いてくれる。 それだけで、自分たちが同じ思いで繋がっているのが伝わってくる。 「スイカ」はパレスチナの国旗の代替。その土地で栽培され、国旗と同じ赤、緑、白、黒の色合いだ。 国旗の掲示が違法とされた1967年以来、「スイカ」はそれに代わって人々を結んだ。93

          スイカと鳩: ひとりの小さな平和活動

          ぼくの一ばんたいせつなおくりものは、りょうしんにもらったぼくです。

          おくりものって聞いたら、何、うかぶ?    プレゼントの山 たいせつなおくりものは?    指輪とか。。。 一ばんたいせつなおくりもの?    ヒヤッ〜、考えちゃうなあ、それは 自分の一ばんたいせつなおくりもの      それは、コワイや こわいって?    自分の中、のぞき込まなくちゃ、答え、出てこない そうだヨネ ソレ、日本語教師やってたとき、宿題に出してたんだ。一人一人のこと、知りたくて    へえっ。それで、書いてきた、みんな? うん。読んだ

          ぼくの一ばんたいせつなおくりものは、りょうしんにもらったぼくです。

          本当の思いを言わ/えない本当の理由

          親しかった友人の連れ合いが亡くなった。顔も何もかも大づくりで快活、声も大きくどこに行ってもすぐ人と打ち解け合うような人柄だった。徴兵にもあい、生前、葬式は軍隊式にしてほしいと言っていた。 けれども、葬式埋葬は弟がユダヤ教に則って式の全てを取りしきった。お棺がおろされ、人々が慣習に従って次々に一つかみの土を握ってそれをお棺の上に投げたが、友人はその場に立ったまま動こうとしなかった。 20年以上も一緒に住んだ友人たちは結婚しなかった。二人が結婚という枠にはまらず、それぞれ独立

          本当の思いを言わ/えない本当の理由

          アフリカ系アメリカ人・一瞬たりとも

          一瞬たりとも フィラデルフィアに着いて初めの頃、「アメリカで驚いたことは?」と聞かれていたなら、同じコースを取った教室でのクラスメートの一言を言っただろう。「物心ついてから、自分が黒人だという意識なしでいたことは一瞬もない。」   凜とした態度、その表情。あたりは、数分、静まり返った。周りにいた、つか子も大勢の白人のクラスメートの誰も、しばらく声が出なかった。「一瞬たりとも。」つか子は、同じ、非白人であっても、全ての権利を剥奪され奴隷として無理矢理連れて来られた祖先をもつ彼女

          アフリカ系アメリカ人・一瞬たりとも

          クエーカーのふつうしないこと: 拍手 :フィラデルフィア

          沈黙のうちにメッセージが一つ、二つ。。。そういったクエーカーの礼拝のあと、夫の誕生日を祝った。その日の礼拝にきた誰もかれも皆一緒に簡単なランチ。クエーカーでない夫の友人たちも来てくれた。持ち寄りのスープやサラダのほかに、この日にはガザの人々へのサポートの気持ちを込め、レバノン料理屋からのラップも出された。 ケーキの後、礼拝の部屋に戻り、夫の話。その後、心に浮かんだことを即興で誰かしら立ち上がって話をしすわった。そのとき、部屋のどこからか、ふだん聞かれない拍手が聞こえてきて、

          クエーカーのふつうしないこと: 拍手 :フィラデルフィア