【日本一周 京都・滋賀編27】 沖島上陸記
・メンバー
明石、尾道
・世界に4つしかない湖上の有人島:沖島へ行く 筆者:明石
※汽水湖(淡水と海水の混ざった湖)の有人島は他にもありますが、淡水湖における有人島は世界に4つ、日本では唯一です。サムネイルは彦根城から見た遠景の沖島。
昨夜は「はる家 梅小路」(京都滞在の拠点としていた激安宿)で過ごす最後の夜であった。
「はる家 梅小路」についての記事はこちら!
しかし、前日でありながら次の日の滋賀をまわる予定を全くといっていいほど立てておらず、ようやく本腰を上げて立て始めたのが22時過ぎ、翌朝が早いにもかかわらず日付を超えてからの就寝となった。
そして今日、なんとか予定通りに起床し、余裕を持って京都駅へと歩を進めた。
いつも通りの日常を過ごす学生やサラリーマン群に混じって、大きなリュック(しかも曼荼羅の突き刺さった)を背負って歩く。それは背徳感よりも浮世者としての自分たちが意識されてしまい、どことなく不安な気分にさせられた。大学生という身分を謳歌しているだけなのになぁ。
目的の近江八幡駅に着くと、駅前のセブンで朝食を買った。温めてもらったホットドッグは過度に温めてあり、ふにゃふにゃだった。
駅前のロータリーからバスに乗り、堀切港へと向かう。バスは貸し切りで、人の乗降がなかったにも関わらず堀切港についたのはダイヤ通り。普段からいかに乗客の少ないことか。
みなとみらいの観光船よりかは一回りも二回りも小さい、バスサイズの連絡船がやってきた。船内の券売機で往復券1,000円(島民は400円)を買い、シート席に腰掛けた。
船は思いの外速いスピードで進み、琵琶湖にぷかぷかと浮かぶ鴨の群れを蹴散らしながら進んでいった。鴨も鴨で轢かれそうになる直前までのんびりしていて、いよいよという瞬間に逃げるから見ているこっちは冷や冷やさせられる。
前方の伝言板には、「島内を通学中の小学生の、顔が判別できてしまう写真を撮るのはお止め下さい」との張り紙がしてあった。
湖上の島に人々の生活があるのは世界的にも珍しいゆえに、こういった写真を撮りたくなるのもわかる。町並みも風情があるし。
とはいえ、自分が親だったら子供を勝手に撮られるのは嫌だし、自分が子供でも知らない人に急に写真を撮られるのはちょっとしたトラウマになるくらい怖いと思うはずだから気をつけなければ。
でも、こういう感覚って同じ日本人だから背景も理解しやすくて配慮できるけど、海外になるとおのぼりさん状態で忘れがちになってしまう。忘れていた方がいい写真も撮れたりするから厄介だ。
一人煩悶しているうちに沖島に着岸した。港然とした場所なのに、潮の匂いが全くしなくてアオサギとかが飛んでいるのが不思議でたまらない。
小さな桟橋には、はやくも噂に聞く「三輪車」が駐輪されていた。聞くところによると、島内に自動車は1台もなく、移動はもっぱらこの三輪車で行われるらしい。
前カゴの他に、後輪の上にもカゴがあるため物の運搬に便利、サドルには雨除けのためにブリキの煎餅缶(なんて限定的!)を逆さにしてかぶせるのが通例らしい。このあと島内を散歩するのだが、本当に至る所にこの三輪車が置いてあった。
上陸した僕たちは、ひとまず島のメインストリートを通って小学校に向かうことにした。江ノ島の裏通りを少し狭くしたような路地で、所々に土壁の家もあり、島の歴史を感じさせる。
開けられた窓の先に住民の姿が不意に見えたりして、路地も家の延長のような、生活臭の濃い道だった。
時折訪れる路地の開けた空間には畑が広がっていた。もしこれが海洋島だったら、塩害のせいでこんな沿岸部での農作はできない。湖上の島ならではの光景だった。
沖島小学校は瓦屋根の長屋が2棟並んだ造りになっていて、中央に位置する入り口の構造は、昔の交番みたいな六角屋根の建物を、スパッと半分に切って壁面にくっつけたようになっている。
全体として昭和の小学校のような佇まいをしており、沖島は島全体が保存地区のような、しっとりとした時間が流れていた。
平日の昼間とあって、小学生は授業を受けている最中らしい。僕たちは、学校のチャイムを背にその場をあとにした。
目星をつけていた喫茶店「いっぷくどう」は、店主の都合により定休日。次の船まではいくらか時間があったので、沖島で唯一御朱印のもらえる奥津嶋神社に行くことにした。
社務所には人っ子ひとりおらず、御朱印はセルフサービスになっていた。
設置された朱印を押した後に筆ペンで日付を書くという作業なのだが、今までプロフェッショナルが書いてきた並びに自分の字が残るというのはなんだかとても緊張する。震える手でなんとか無難な字を書き、御朱印帳をリュックに閉まった。
順番が逆になってしまったが本殿を拝みに行こう。という段になって、社が結構な崖の上にあることに気づいた。当然、参道は急勾配の山道で、旅行の装備を背負ったままでの最終日の登山は体にこたえた。
両者無言で黙々と歩き続け、ようやく放課後に高校生カップルが逢瀬していたらさぞ絵になりそうな本殿にたどり着いた。高さがあるから見晴らしがよく、渡ってきた堀切港も一望することができた。
琵琶湖が広すぎるために霞んでしまって沿岸部のすべてを見渡せるわけではなかったが、外周を山に囲まれた中で島に立っているというのは箱庭の住人になったような奇妙な感覚だった。
出港時間が迫ったため港に向かっていると、脇の広場に木の柱を組み合わせて作ったドーナツ型のドームのようなものがあった。
中に一升瓶を組み合わせて作った椅子や、半分に割ったドラム缶に並べられた大量の一升瓶があるところを見ると、島民の宴会場として使われているものらしい。
にしても、天然木を互い違いに組み合わせて作られたこの構造体には、現代アート作品のような趣がある。これが東京のギャラリーにあったなら、注目を集める作品になりえたかもしれない。「場所を選ぶことで作品か否かが決まるというのは、現代美術の面白くも貧しい部分である」と僕が云っている。
とはいえ、沖島の構造体は現役の憩いの場であり、アート以上の価値があるものである、というハートウォーミングな幕引きでお茶を濁しておく。
港にて、漁協のおばさんに「鮒寿司ってここで売っていますか?」と聞くと、「本土の方が美味しいよ」と元も子もないことを言われた。
その脇では、水揚げされた大量のフナがビニール袋に入れて計量されていた。どうやらここは、原料の漁獲に特化しているらしい。
慌ただしく観光地をまわっていた京都にくらべて、沖島ではだいぶのんびりとした時間を過ごすことができた。心身ともにリフレッシュし(身体へは参道がクリティカルヒット)、僕たちは”本土”へ帰還した。