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【参加記録】「世界は贈与でできている」近内悠太さんトークライブ!
■セミナー概要
・セミナー名:「世界は贈与でできている」近内悠太さんトークライブ
・主催者:三好大助さん
・スピーカー:近内悠太さん・三好大助さん
・興味を持ったきっかけ
コロナをきっかけに「贈与」を通した人と人とのつながりが見える化されてきたと思います。(生産者さんを助けるために消費者が直接買う行動や、クラウドファンディングなど)「贈与」という概念と、どのような背景でこのテーマを扱われたか、について具体的に知りたかったので参加してみました。
■セミナー内容
①なぜこの企画か?(三好大助さんより)
三好さんはNVC(Nonviolent Communication)やメンタルモデルなど、人の意識に働きかけることで行動変容を促す活動取り組んでおられます。様々な勉強をする中でネイティブアメリカンの通過儀礼を体験した際、この本に書いてあるようなことを感じたと仰っていました。
そこでこの本に大変興味を持ち、今回のイベントを開催するに至ったそうです。
□通過儀礼のパターン
STEP1 自分には何もない、という経験。自我を捨てる。「自分は空っぽだ」と感じる。
例 スウェットロッジ
STEP2 いかに自分がすでに与えられているのかを体験する。「すでにあった」と感じる
STEP3 無力の体験と既にあったという体験を通して、「何を次に与えるか」を考えられるようになる。
②本の要約三好さんによる本の要約に、近内さんからのコメントを入れてもらうパートでした。
□贈与のステップ(三好さん)
・STEP1 実は与えられていたことに気付く。(この場合、お金で変えない物。親の愛などのgift)
贈与は与えられているから、与えることができる。「すでにあった」という気づき。
・STEP2 与える先の存在を想起することで「使命感」を感じるようになる。「このためだったのか」と生まれてきた意味の蓄積。
・STEP3 祈りと共に贈る。giftは「あげる」ではなく「届いてくれたらいいな」という感覚。相手が気づかなければ受け取れないので、相手も与えられたことに気付かないかもしれない。一方、受け取るとつながりが発生するため、贈与は呪いにもなる。
売れている漫画・物語の構造はこうなっている。主人公に与えてくれた人にはもう恩返しできないから、他の人に与えている。ヒーローが世界を救うのには、動機が必要。
例 ワンピース 麦わらのルフィは最初赤髪のシャンクスに助けられている。でももうシャンクスにはお返しができない。だから、関係ない人も助ける。キングダム、アイアンマンなども同じストーリー構成。
贈与には、自然からの贈与、親からの贈与、先輩や先生からの贈与などがある。
③対談パート
□なぜ「贈与」というテーマを扱った?(近内悠太さん)
・原体験は高校の先生。クラス対抗のスポーツ大会などの後に必ずお菓子やジュースをさりげなく差し入れしてくれていた。
・3.11で「都市機能や日常が簡単に止まる」ことに気付いた。この社会は誰かが支えていないといけない=与えられている、ということをきっかけに気付いた。(今回のコロナで更にみんながそういうことに気付くきっかけになったのでは)
・社会起業家は自分がしている「いいこと」を第3者が社会に語ることで贈与のサイクルが生まれる。
□セカイ系の贈与について(近内さん、三好さんの対談)
・セカイ系の贈与とは?
私の一挙手一投足がこの世界を救う、という感覚。最近の人は即物的に無益と思えることを極端に避ける。「意味の欠如」を恐れる。
・セカイ系贈与の罠 自分を満たすための「贈与」と「受け取る」人の共依存が発発生するのでは?
・「自分を満たすための贈与」では自己充足はやってこない。自分が役に立っていることを証明したい、ということは自分はそのままだとダメだ、と思っている証拠。
・自分達が贈与の起源になるためには、困っている人が必要になる。=世界に欠落を生み出している。
・その結果、贈与を与える人と受け取る人の交換関係としての依存関係が発生する。
・ボランティアをしたがるのはセカイ系贈与。「誰かを笑顔にしたい」という思いは見返りを求めているため既にgiftではない。
・自分がしていることは「セカイ系贈与」だと自覚していればいい。
・「セカイの姿」をどのような設定にして、デフォルトにするか。あるべきセカイの姿のハードルを下げておけば「世界をよくしていることに貢献している」と感じられるのではないか。
・この本の位置づけ 「世界はこのような構図でできていると思いませんか」というメッセージ、お誘い。
e.com/yutachikauchi/n/n1334b94a33e8
□セカイ系贈与の先に
・自分の「ない」経験(痛み・絶望)がリソースになる場合もある。
・自分が意図していなくても相手に受け取られてしまうことで、気づくこともある。
・世界との「出会い直し」の機会になる。生まれてきた意味は「自分がしていたことは、結果的に振り返ると与えてしまっていた」と考える方がヘルシーでサステナブル。
④質疑応答(参加者チャットへの質疑応答)
・「自分は与えられていた、与えていた」という世界と出会い直してしまったら、認識を自然とアップデートできる。その権利はフェアである。
・宗教的なものを媒介にすることで、贈与は実装しやすい。
・村の風習を通して、贈与を回している。業としての贈与。
⑤締め(近内悠太さん)
・この本は出会い直しの哲学。with コロナの本でもあるけど、本来はプレコロナのつもりで書いた本だった。日常世界に戻った時に「与えれている世界だった」という気づきを得てもらいたい。
■感想
全ての起点になる「実は与えられていたことに気付く」という経験が重要だと思いました。
自分が命をいただいていること、息ができていること、家族がいること、全てが「与えられている」ことに気付き、セッションを受けている間、温かい気持ちでいっぱいになりました。
そして普段、自分がgiveしているつもりのものを相手が受け取るかどうかは、相手次第、ということにも気付きました。
「使命」は自覚して声高に言うと「押しつけ」になってしまう可能性があるので気を付けようと思います。(気付いていたら、受け取ってもらっていた、というスタンスが重要)
対談中にも出てきましたが昨年話題になった映画「天気の子」なども、自分の行動が世界をよくしているという実感を求める「セカイ系贈与」がテーマになっている、という解釈でしっくりくるものがありました。
物質的には満たされているこれからの世代の人が自分の生きている実感を得るためにも「贈与」はますます広がっていきそうですが、その危うさについても議論がなされていてとても深い対談だったと思います。
三好大助さんのご自身の経験に基づいた「贈与の在り方」への疑問に、近内悠太さんが地理学や哲学など多様な知識に基づいた世界観から分かりやすく答えられていて、1時間半とは思えないくらい濃い時間でした。