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『記憶を語る,歴史を書く』刊行記念:「オーラルヒストリーの入口で」④

(①はこちら、②はこちら、③はこちら


なぜ、研究をするのか?

四竈 最後に、私の方からもう一つ質問をしてもよいでしょうか。今回取り上げた2冊の主要なところは、ご家族に話を聞くというスタイルの調査がベースになっていますよね。研究者以外でもオーラルヒストリーに興味を持つ方はおられると思うんですが、たとえば私も自分の伯父に話を聞いて録音したことがあって、それってオーラルヒストリーとして分析できるのかなって思ったりしたことがあるんです。そのとき、どんな手順とか、何を参考にしたらオーラルヒストリーって始められるかな、、、って。何か助言をもらえませんか。もちろんこの『記憶を語る,歴史を書く』とか、『最強の社会調査入門』を読めと言われれば、もちろんそうなんですけど。

朴沙羅 まず、何を知りたいのかが大事だと思います。つまり、ある人が今まで生きてきて体験してきたことを、時間の経緯に沿ってなるべくたくさん知りたいのか、それとも、ある出来事について体験談を聞きたいのか、どちらだろうということです。生活史、あるいは伝記を知りたいのか、それとも事件の描写を得たいのかは、とりあえず見極めるほうがいいかなっていう気はします。生活史を知りたい場合、その人が喋ること以外のデータはなかなか得られないかもしれません。

四竈 なるほど。

朴沙羅 要するに、いわゆる裏の取れない話ばっかりになる。

四竈 そうですよね。個人的な話になっちゃうんですけど、伯父に話を聞いたのはいいものの、先日に亡くなってしまったんですよ。それで裏をとるとしたら、伯母とか、いとことか、そういう風になるけど、それでも限界があるなと思って二の足を踏むところがあるんですよね。

朴沙羅 そうですよね。でも、お話を聞けたこと自体がすごくおもしろいことだったんじゃないかなと思うんですが。

四竈 おもしろかったです、すごく。聞いてよかった、と心から思っています。

朴沙羅 ですよね。だからやっぱり、他人のために話を聞きに行くわけじゃないですよね。自分が聞いておもしろいから聞きたい、だから他人に話させたんですよね。論文を書かなくちゃいけないのでないなら、聞きたくて話を聞きに行って、それがおもしろかったっていうのでいいと思います。もちろん、相手の話したくないことを無理に聞き出さず、礼儀と節度をもって振る舞うことは大切です。話を聞いてそれっきり、私は楽しかったけどお前のことなんか知らん、なんてもってのほかです。それは当然のこととして、出来上がったものをご本人にお渡しできたら、それでいいんじゃないかなって。でも、そうやって記録したものの行き先がないっていうのは、日本のオーラルヒストリー研究全体にとって大変もったいないことだと思います。

四竈 アーカイブにならないか、ってことですかね。

朴沙羅 そうです、そうです。たとえばこれは大阪大学の安岡健一先生がご関心をお持ちのことですが、いろいろな社会運動に関わってこられた方の、その方々の持っているインタビューデータとか、その方々が収集してきたいろんな資料、ニュースや会議のレジュメが、お年を召していろいろなものを整理なさったり、お引越しなさったりする時に散逸してしまうことがあります。

四竈 なるほど。

朴沙羅 小林多寿子先生や桜井厚先生がアーカイブ化の研究を主導していらっしゃる背景には、こういうこともあるはずです。立岩真也先生も日本社会学会のメーリングリストで、質的データのアーカイブ化について問題提起しておられました。オーストラリアとかシンガポール、イギリスなど、オーラルヒストリーを収集するプロジェクトが国レベルで存在していて、記録を取ったらその行き先があるようになるといいですよね。
 なので、まとめると、今のところは残念ながら行き先がない状態だから、自分でおもしろい、聞きたいなと思った人のところに話を聞きに行って、お話を聞いて、録音と文字のデータを作る。そういうのって国会図書館にいれられたりしないのかな?

四竈 どうなんだろう。出版したりとかしたらね、入れられると思うんですよね。その辺の、どういうふうにアーカイブ化して行くかっていうのは、分野を問わず課題になってるんだと思うんですね。

朴沙羅 商業出版に乗らないと、行き先は難しいんでしょうか?

四竈 でも、たとえば同人誌も国会図書館に入れようと思えば入れられるはずなので。

朴沙羅 そういう文学フリマとかコミケとかのもありなんですね。

四竈 僕も数年前まで大学の友人たちと文フリで密かにずっと出展していたんですが、たしか新刊の見本誌は一括してどこか(追記:日本大学藝術学部文芸学科資料室)に納品されていたはずです(文学フリマ公式サイトより)。

朴沙羅 そうなんですか。じゃあ、アクセスしにくさの問題はありつつ、少なくともどこかに保存してもらえるとすごくいいですよね。出口がない中で、どんどんやろうよ、とは言い出しにくいですし。

四竈 そうですね。それ自体が楽しいってのも、一つの大きなインセンティブなんですけどね。さて、時間も終わりが見えてきました。
 朴沙羅さん、今やられているご研究についてとか、何か言い残したことはありませんか。

朴沙羅 いや、もうちょっとちゃんと研究しなきゃっていう感じです。まだインタビューしたい、お話聞きたいのに聞けない方がたくさんいるんで。

四竈 うん。

朴沙羅 私、全然聞けてないんです。うちの祖父はフリー編集者兼平和運動の活動家だったけど、彼は自分の出身の街の空襲の被害体験や、出征した兵隊さんの体験を、かなり聞いていました。彼が話を聞いた人の数、人前で体験談を話させた人の数、戦争体験を子供に聞かせる活動、そういうのと比べると、私なんて全然聞いていません。祖父が生きていたら、「おめえ、偉そうなこと喋りやがって」と笑うでしょう。

四竈 この本の第5章は、いわゆる「従軍慰安婦」についてのお話ですが、正確にいうと「従軍慰安婦の方にお話を聞いた方」の話ですよね。

朴沙羅 そうですね、うん。

四竈 朴沙羅さんご自身が慰安婦の方に、直接お話を聞くっていう方向で、オーラルヒストリーをまとめられる予定はあるんでしたっけ?

朴沙羅 慰安婦の方もそうだし、たとえばさっき申し上げた在日一世の女性の方もそうなんですけど、その人たちの体験談は、ある程度は聞かれています。

四竈 たしかに、すでに仕事がありますよね。

朴沙羅 だけど、その人たちの話を聞いた人の話は、あんまり聞かれていない。誰も一人では話さない。聞く人がいなきゃ話さないし、聞く人によって、話される内容はあるていどは変わる。といっても大筋はだいたい一緒だと思うんですけど。でも、何が話されるのかは時代状況によっても変わるし、話された話がどんなものとして聞かれるのも変わる。だから、話を聞いた人たちがどうなってるのかっていうのを調べる方がいいかなって思いました。日本性奴隷制度のサバイバーに、イ・ヨンスさんという方がいらっしゃいます。彼女は「私は歴史の生き証人だ。」とおっしゃっていました。でもイ・ヨンスさんが日本に来る時に、必ずイ・ヨンスさんを支えていた人がいるんですが、その方々も歴史の生き証人でしょう?

四竈 そうですね、まさに。……なるほど。そうすると『記憶を語る』の第5章でやられていることを、やはり敷衍していくような路線に。とすると、それは社会運動論的なものになっていくんですか?

朴沙羅 いや、社会運動についてはもうそれこそ富永京子さんや小杉亮子さんといった、すごい方々がすごい仕事を次々とやっておられるので、私ができることなんか何もありません。私が興味があるのは、いわゆる歴史修正主義歴史否定主義の方です。

四竈 はい。

朴沙羅 こういう言い方はよくないんですけど、歴史否定主義が私の本丸の敵です。

四竈 そうですよね、うん。でもこの本を、ちゃんと読める人が読むとしたら、軍配はもう上がっていると思うんですよね、僕は。

朴沙羅 だといいんですけどね。

四竈 ……と、思うんですけど、それをさらに倒す必要があるのかな、なんて思ったり。

朴沙羅 実践できるなら活動家になったでしょうけどね。否定主義は歴史叙述のオルタナティブではなく寄生物です。だから実は、否定主義はいろんなものを自分たちが否定しているはずの歴史叙述によって得られる知識や、歴史叙述がなされるときの前提を共有している。そこをまず押さえたいですね。

四竈 なるほど、なるほどね。

朴沙羅 この本は、誰の何が正しい歴史と社会の叙述なのかをめぐって、誰が何を争ってきたのか今それに何が言えるのか、という問題に答えようとしました。文献史料とは別のものとして「オーラル・ヒストリー」と言わなければいけないと思った人たちは、言ってみれば自民党の大物政治家の言うことも、識字教室で学ぶ在日コリアン1世の女性の人生譚も、歴史叙述の材料として同じに扱えると主張したわけです。でも、在日コリアン1世女性にインタビューをして、それを使って論文を書いたからって、それだけでその歴史叙述が立派だと言うことにはなりません。そういう批判も寄せられたのに、それは放置された。その代わり、でもないんでしょうが、いわゆる「下からの」オーラルヒストリアンの中には、「主観性」という言葉に過剰な意味づけをした人たちもいた。でも、それって本当に「自民党の大物政治家が何ぼのもんやねん」って言えているでしょうか。主観性とかリアリティとか言わず、どちらも同じように分析の俎上に載せなくちゃいけない。だから、「オーラルヒストリー」という言葉に研究者が何を込めてきたのかをレビューすること、「主観性」という言葉がどこから、何のために出てきたのかを考えること、伝記的研究とオーラルヒストリーとの関係に関する社会学者たちの議論をレビューすることは、過去に起こったこととそれを調べてわかること、つまり歴史の、どの叙述がどの意味で正しいのかをめぐる論争のレビューでもあるはずです。

四竈 なるほど、たしかに本当にそのとおりですね。最後に、著者自身による解題をいただきました。

朴沙羅 もちろん、話を聞いておもしろいのは大事です。いわゆる「慰安婦」運動ということに関わってきた人も、私の親戚も、識字教室に関わってきた人も、どなたの体験談も、聞いたら毎回、私は感動します。びっくりするほどおもしろかったとか、無茶苦茶だったとか、こんな偉大な人が世の中にはいるんだとか、いろんなことを思いながら帰ります。そういうお話を聞けるのが、私には一番楽しいです。

四竈 研究者の研究の仕事と、それが持つ政治的な意味、機能とか効果みたいなものって、なかなかすべてをコントロールできるものでもないでしょうし、狙ってできることも限られるでしょう。けれども、だからこそ、できることをやっていく、ということになるんですか。

朴沙羅 昔、私にとって政治的な正しさと学術的な正しさは違うのか、と学会で質問されたことがありました。そのときは、「当たり前です」とだけ答えて終わっちゃったんですけど、もっと詳しく言えばよかったって後悔しました。調査した結果、私が知りたくなかったことがわかることってありますよね。私自身の政治信条からすると否定したいようなことが出てくることが。たとえば「差別なんてなかった。」もそうです。それが出てくることが、研究や学問が、政治とは違う原理で動いていることの証拠です。その原理に忠実に従った結果、私の持っている政治信条が変わってしまう可能性がある。学問の持つその力は、とても政治的なものだと思うんです。いまある世界とは違う世界があると教える力がね。だから、たとえば奴隷は文字を学んではいけないとか、女性は勉強してはいけないと言われていたりしたわけですよね。

四竈 そうですね。まさに。

朴沙羅 私は子供の頃、識字教室にいる女性たちがなんであんなに楽しそうだったのかわかりませんでした。私にとって、学校の勉強なんて別に楽しいことじゃなかったからです。でも、学ぶことそれ自体の持っている政治性がある。それは、研究には政治とは別の原理があるということです。だから、あの識字教室にいた女性たちは、あんなに嬉しそうだったんです。私は長い間そんなこともわからなかった。学問の力を活かす為には、政治的な目的のために研究結果を歪めちゃいけないんです。私の研究の不出来を、私の政治的な目的のためにごまかしちゃいけないんです。

四竈 たしかに。本当におっしゃるとおりです(不出来とはまったく思いませんけども)。

朴沙羅 他方で、学問の政治っていうんですかね、もっと研究分野に予算をよこせとか、大学の運営はこうあるべきだといった運動も大事です。教職員組合の運動も大事です。だから、全部やっていかないといけない。ああ、そうだ、四竈さんは有斐閣労組の委員長でいらしたんですよね。

四竈 もうこのあいだ任期が終わったんで、はい(笑)。なるほど、なるほど。あらためていろいろと納得しています。
 もうそろそろ、本当に終わりのお時間ですね。最後に一言いただいて、それで締めたいと思うんですけれども。

朴沙羅 私、自分の書いたものをいいと思ったことがないんです。満足した試しがありません。この本もきっとこれから、いろんな批判があると思います。でも、さっき四竈さんがおっしゃってくださったように、いろんな人に手伝ってもらって、作ってもらった本なので、そのぶんだけ、私が1人で書くよりずっと大事な話ができたと思います。

四竈 こちらこそありがとうございます。

朴沙羅 この本で最終的に書いたことがオーラルヒストリー研究のやるべきことだ、とは思っていません。今後もオーラルヒストリー研究の大多数は、かつて起こった事件なり、誰かの人生なりについて回顧してもらって、それを記録して、それについて他の資料と付き合わせて、わかったことを書く、そうやって進んでいくでしょう。だけど、それは社会学者が一番得意とする仕事じゃないだろうっていうのが、私が思ったことなんですね。私は、歴史学者の邪魔をしない社会学者になりたいって思った。

四竈 うん。

朴沙羅 社会学者にも歴史学者にも、すごい人たちはたくさんいます。そのなかで私は凡庸です。でも、凡庸な人間が素晴らしい人々の協力を得て、しかし特に驚くべきことを成せるでもなく、それなりに生きていけるのがいい社会だと思うので、そんな生きやすい世の中にするようにお互い頑張りましょう。なんの話や。今日はありがとうございました。

四竈 ありがとうございました、良い話でした。

朴沙羅 そうですか、良かったです。

四竈 とくに最後は、力を貰えるような、頑張ろうという気持ちになるようなお話だったと思います。というわけで、長い時間、予定より17分ほどオーバーしましたけれども、ありがとうございました。

朴沙羅 ありがとうございました。

 本連載は、ジュンク堂書店池袋本店主催の刊行イベントをもとに構成し、加筆をしたものです。抜粋版は有斐閣のPR誌『書斎の窓』でもご覧いただけます。


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