第4回 『問いからはじめる社会運動論』を本棚に加えるなら…?
————:ここからは『問いからはじめる社会運動論』についてお話をうかがいます。濱西先生から、まず企画の経緯やねらい、本書の位置づけについて伺い、その後に原田先生からコメントをいただきます。
濱西:企画の経緯ですけれども、私はもともとアラン・トゥレーヌというフランスの社会学者の研究をしていました。ですから、いわゆる「資源動員論」と、トゥレーヌたちの研究は、いったい何が違うのかと考えざるをえなかったんですね。もうすこし学生の方にもわかるようにいうと、社会運動論には大きく分けて「原因を探る研究」と「プロセスをたどる研究」があるとされていて、「この2つの違いはなんだろう?」 というのが、海外でもよく言われていたことなんですね。
————:その分け方が『問いからはじめる社会運動論』の議論にも踏襲されていますね。
濱西:トゥレーヌたちは「新しい社会運動論」と呼ばれて、原因を探る研究をしているとされ、とくに社会運動が発生する構造的な要因を分析しているとされていたわけです。それに対して資源動員論は、少なくとも出てきた当時の研究は、社会運動のプロセスを扱っていました。この2つは補完的なものであって、別に対立もしないし、統合できるんだという議論もありましたし、またほかにも区別の仕方がいろいろあったりするんですけれども、少なくとも一番大きな区別はこれだとされていたわけです。
————:社会運動論には、大きく分けて、やはり2つの流れがある、と。
濱西:しかし、海外の文献をたくさん読んで、整理して、「トゥレーヌたちがやりたいこと(結果としてどうなっているかはさておき)は何か?」と考えていくと、両者のやりたいことはだいぶ違うのでは? 運動の意義・意味を解釈する研究と因果的メカニズムの研究の違いではないのか、ということが見えてきました。他方で、どっちの道も「間違いではない」と思えたわけです。どっちかに限定してしまうと、社会運動研究が寂しくなるし、魅力的でもなくなるだろう。逆に、うまく活用しあえたら、どちらも発展するんじゃないか、としばらく考えていました。
————:それが章構成に具体的に反映されたわけですね。
濱西:実際に学生を教えているなかでも「研究の課題は何か?」「どこに関心があるのか?」という話題は避けられないですし、学生さん自身が手にとって、「これから自分の研究はどう進めればいいんだろう…?」というときに手にとってもらえるような本としても、この区別は生きるんじゃないかと思っていました。
————:章の内側、節の構成も独特ですよね。
濱西:「研究のきっかけ」から議論を始める、というところまではなんとなく構想にありましたね。そこを具体的に語るかたちで書く方針をとったのは、同じストゥディア・シリーズの『質的社会調査の方法』が、すごくおもしろかったからです。たしか、はじめに鈴木さんが今のかたちの元になる原稿をもってこられて、それがすごくおもしろかったんですね。
————:いずれも、研究の舞台裏も見ながら、読み進められる本ですね。
濱西:自分でも書いていて楽しかったですし、はじめから「あとがき」を書いているような気分なんですかね。「あとがき」って、本文で書けないことを好きに書けるので。他の人の本も「あとがき」を読むのっておもしろいですよね。原田さんの『ロビイングの政治社会学』も「あとがき」を読んでいて楽しかった。だから、そういう楽しさもつまっている感じで、おもしろいものになったと思っています。
————:編集をしていても「あとがき」をいただくのは楽しみの一つです。
濱西:先に『社会運動の現在』の話をしましたが、本当に著者のお一人おひとりにも、ぜひ本書と同じ形式で書いてほしいな、と思いました。土田さんも、なぜそれに関心を持たれたのかとか。あるいは、原田さんもなぜ『ロビイングの政治社会学』にいたったのか、学部生の頃はどうだったのか。ぜひお聞きしたいなと。他の方にも、それこそ長谷川先生にもお聞きしたいなとか、いろんなことが浮かぶわけですけれども。
————:この本は、これまでの教科書や本と比べると、どんな特徴があるんでしょうか。
濱西:従来のテキストは、先に小杉さんが挙げたように、運動の成果や、明らかになったこととか、理論などをまとめてくれています。それこそ最先端のものは、海外の本を含めればいろいろあるわけですが、国内の本だと特に『社会運動の社会学』なんかは、見事に体系的に書かれています。あるいは、ゴールや成果を中心にするわけではないタイプの本も増えている印象もありますね。富永京子さんの『みんなの「わがまま」入門』は、みなさんご存知だと思います。この本も、かなり「手前」を扱っているわけですよね。従来、社会運動研究者が考えてきたことの、かなり手前のところから書かれている。
————:素人の肌感覚でも、社会運動との距離が変わってきた印象があります。
濱西:10年くらい前までは、社会運動がそもそもあまり身近じゃない時代だったので、そのときにはそれがよいものか悪いものか、そうした評価以前に、学生さんがそれを話題にすることも少なかった。いまは、もう少し身近に感じる学生も増えていて、たとえばコロナ禍で起こった「学費返還」の抗議もありましたが、運動に関わるひとが増えてきたり、逆にそこから距離を取るひとも出てきたりする。運動自体の評価が、いろいろ話題になる時代だと思うんですね。
————:人によって、ずいぶん捉え方が違う印象もあります。
濱西:今回の本も「社会運動はすばらしいものだ」という書き方はしていないわけですね。僕自身はいろんなものを研究してきましたけど、「ぜひ頑張ってほしい」と思う立場ですが、本書ではそれをいきなり書くことはしない。序章でも、「社会運動とは何か」ということも、実は書いてはいません。「社会運動論で扱う事例はこれですよ」という書き方をしていて、社会運動の定義は、あえてしませんでした。というのも「社会運動をどう評価できるのか」ということ自体が研究のテーマになる、このことが、「『社会運動の社会学』にはないところ」として強調したい部分だったので、結果として私が扱った社会運動は事例としてあんまりよくないとか、全然評価に値しないという研究が出てきても、それはそれで構わないと思っています。それこそ、いろんな運動が今はありますので。読者に向けて「社会運動がいいものである」とか「次の社会をつくるものである」とかいうことをうまく避けながら、そこは第Ⅰ部のほうのいろいろな解釈の研究で、それ自体研究テーマになるということを伝えたいので、序章では触れないようにと工夫して、社会運動に抵抗感のある人も読んでくれるようなものにしつつ、それで研究してくれるようになれば、結果としては意義というのは十分わかってくれると思っています。
————:抵抗感をもつまえに、調べたり考えたりしてほしい、と?
濱西:参考にしたのは、先にも挙げた『質的社会調査の方法』で、これも社会学を社会調査の観点から書こうとされている感じがしますし、筒井淳也先生と前田泰樹先生の『社会学入門』も社会学を方法論的に統合しようとしている。理論や成果で社会学を統合しようとすると、反発を受けたり、窮屈になっちゃったりして、「この理論は社会学で、これは社会学じゃないです」ということになっちゃったりもする。
————:たしかに、最近は理論が先にある印象が薄らいできた印象があります。
濱西:そういう試みは、昔からずっとあるけれども、結局どんどん理論は新しくなるし、どんどん事例も新しくなるし、どんどん社会は変わっていく。いま挙げた2冊は、社会学をもう少し方法論的に意識して、再構成していくような試みだと思うわけです。私たちの本の場合は、社会運動を中心にしているので、そういう違いはあるものの、「社会学の教科書」を参考にしながら併せて読んでもらえると、意味があるんじゃないかなと思ったりしています。
青木:私からもすこし補足しますね。濱西さんから「扱った事例が限られる」というお話がありましたけど、たしかにそれはあるかなと思います。というのは、社会運動論のある先生に献本したときに感想をいただいて、率直に言われていたのが、「ここで扱われている事例って、かなり尖ったやつばっかりだよね」と。私も「それはそうだよな」と思っていて。
————:そんな感想が。
青木:「学生運動、反原発運動とか、女性のバックラッシュを扱った運動というのは、普通の学生からするとちょっと引いちゃうかもね」みたいなニュアンスだったと思うんですけど、それはそれでしょうがないかな、とも思うんです。その代わりといったら変かもしれませんけど、多くの学生にも馴染みやすいように序章でかなりていねいに説明されていますし、特に序章の本当に最初のところではイラスト満載で「まちづくりの地域活性化」の話だとか、または社会的企業なんかの話もされているわけです。
————:この序章の始まり方は、かなり特徴的ですよね。
青木:どうしても社会運動に対して怖いとかそういうイメージが学生さんは持たれちゃうこともあるんですけど、そのイメージは変えたかったですね。私がこの本をつくる過程で印象的だったのは、序章の最初のトゥンベリさんをイメージしたイラストのところでした。
————:イラストレーターさんにラフを出してもらったときのことですね。
青木:何度も口うるさく言ってしまったんですけど、彼女の眉間に皺が2、3本寄って、しかめ面の女の子の顔になっていて。それは、たしかにマスコミが彼女を切り取るときの象徴的な顔なんですけど、「そんなに怒ってばっかりじゃないよ」ということを伝えて、眉間の皺を取ってもらうために何往復かメールをして。その作業がすごく印象的だったんです。この本で心がけているのは「運動って怖くないよ」というところも含めて、多くの学生さんが運動なるものを研究するときにどこから手をつければいいかと考えてもらえること。そこはけっこう気をつけたところだと思っています。
————:イラストについても、たしかにいろいろな工夫や検討をしましたね。社会運動のイメージが、男性偏重にならないようにも、考えていただきました。
濱西:その点は、本当にそのとおりで、議論を重ねたところですね。2004年の『社会運動の社会学』もよい本ですが、コラムを例外として執筆者は全員男性だったんですね。あるいは、その後の社会学のいろんな文献、テキストを見ても、圧倒的に男性が多い。これはおそらく日本だけのことで、海外の学会に行ったり、そこで研究者に会ったりすると、本当に女性の方のほうが多いくらいの印象なんです。学会の中でも、たとえば本を書いたりするときに「男女半々になっていないと、寄稿しません」ということもけっこう普通になっています。それは社会運動論だけじゃなくて、ほかの分野でもみられますね。
————:著者のジェンダーバランスは、出版社も取り組むべき課題ですよね。
濱西:今回の本でも、私が執筆者の先頭になることもいろいろ悩みましたし、私が複数章書くこともかなり悩みました。先頭に出ないと逆に企画を発案した責任も取れなくなっちゃうので、先頭にしましたが、抵抗があったり、悩んだりしたところです。できあがったものをうちの学生(女子大の学生)にも、試しに読んでもらったら、書かれている方が女性ということで、学生も読みやすいと感じるみたいでした。自分と同じ立場の人が書いていると思うと読みやすい、と指導学生も言っていました。書き手のジェンダーバランスは、とりあえずグローバルスタンダードを目指したところですね。
(以下、第5回に続く)