稲垣潤一さんと八神純子さんの歌の秘密を研究してみた!
今日は稲垣潤一さんと八神純子さんのコンサート【〜歌は時を超えて〜】に行ってきた。
せっかくだからそこで得た学びや感動を残しておこうと思う。
稲垣潤一さん、御歳70歳。
そして八神純子さん、御歳66歳。
まずは稲垣潤一さんのステージから幕があがった。
私は正直、稲垣潤一さんと八神純子さんは有名曲しか知らなくて。
母に「2人が鹿児島に来るらしくて、私は行こうと思ってるんだけどゆうひも行く?」と聞かれたのが今回コンサートを観に行った経緯。
とりあえず2人の歌声をネットで確認して、シンガーソングライターということもあり速攻で行きたいとお願いしてチケットを取ってもらった。
そんなこんなでほとんど知らない曲の方が多かった訳だが、稲垣潤一さんといえば特徴的な歌い方のイメージが強かった。
スタッカートで1音1音が弾む感じと言えば伝わるだろうか。
コンサートがスタートして、初っ端から知らない曲。
だがあのスタッカートのような歌い方に感動した。
なぜそんな歌い方になっているのだろうか…
そう考えいると、ふと1音1音を大切にしているように感じた。
そんなことを考えている内に曲が終わり、最初のMC。
そこでデビュー当時のことを話し出した稲垣さん。
「(要約)デビュー前はドラマーとして活動しつつ歌っていた。海外の曲ばかり歌っていたから、日本語での歌というものがよく分からなかった。」
そこでピーンと来たのだ。
稲垣さんの歌は、ドラムだ…!
ご本人がどんな風に思って歌っているかを知ることは出来ないが、そう思うと納得がいった。
スタッカートが効いていると思っていたのは、四分音符の認識の違いなのではないか…
言葉にすると難しいのだが、例えば普通の人であれば四分音符の「タン」という音に「あー」と音を当てる。
でも、ドラムで四分音符を叩けば正確には「タン」ではなく「タッ」となる。
四分音符を口で表現する「タン」とテーブルなどを叩いて表現する「タッ」の違いと言えば分かって貰えるだろうか。
ドラマーだからこそ無意識にドラムの音の取り方に寄っているというか、1音1音が正確だと言えばいいのか。
これは私の勝手な憶測である。
ただ、私の歌にはこの1音の感覚というのがなかったのだ。
私の歌のラストは必ずフェードアウトで終わっていたし、プツッと切ることに苦手意識があった。
でもこの感覚を磨くことで、自分の歌の可能性が広がる気がしたのだ。
稲垣潤一さんの生歌を聴きながら、ご本人の1音1音の区切り方を研究する。
贅沢な時間だった。
その後の八神純子さん。
とりあえず66歳とは思えない素晴らしいスタイルと雰囲気に、こんな風になりたいと強く感じた。
歌ももちろん最高だったが、とりあえずステージに登場された瞬間から目が釘付け。
強烈な憧れを抱いた。
八神純子さんはシンガーソングライターということで、歌詞や曲について意識して聞いていた。
1番最初に歌われた曲は、初めてライブで訪れた地で歌うことにしているという曲だった。
八神さんが歌う歌詞で、情景がふーっと頭の中を流れる。
そこにまるでBGMのように馴染む歌声と曲。
歌詞で情景というムービーを流し、それにBGMまで流しているイメージ。
作詞ってこういうものなのか…
と、作詞と曲の関係性に感動した。
そして有名な【みずいろの雨】を歌われているときにふと、なぜ【あいいろの雨】ではいけなかったのかという疑問が生まれる。
帰ってきてから【みずいろの雨】の歌詞をしっかり確認してみた。
【くずれてしまえ】や【あとかたもなく流されてゆく愛のかたち】【忘れてよ 忘れてよ】そんな歌詞の羅列。
これは藍色では重すぎる。
儚さや切なさを表現するのに、【みずいろ】が1番適していたんだなと再確認した。
作詞について勉強し始めたが、作詞は奥が深くて面白い。
自分で作詞をする為に他人の歌詞の考察をするようになったが、自由に深堀りするのが楽しい。
八神純子さんの曲を聴きながら、自分ならどんな表現をするかな…
なんて考える、こちらも有意義で贅沢な時間を過ごせた。
歌手になる。
それもディズニーとコラボレーション出来るような歌手に。
それを掲げるようになってから、音楽に対する向き合い方が変わってきた気がする。
もっと真剣に、そしてもっと深くまで考察するようになった。
これも一種の成長なのかもしれない。
稲垣潤一さん、八神純子さん、素晴らしいステージをありがとうございました。
今日のコンサートで学んだことを糧にして、明日からまた頑張っていこうと思います。