大人になるってもしかしたら、月のない夜を楽しめるようになることなのかもしれない。
深夜に入るお風呂が好きだ。
娘が眠りに落ちて、ゆったりとした時間を過ごせる。
娘と入るには熱すぎるお湯に浸かりながら、そのときに読みたい本や漫画、携帯小説をゆっくりと読む。
自分時間がないわけではない。
主人は協力的で、一人で作業をする時間を作ってくれたり、やりたいことがあればその都度娘の面倒をみてくれる。
でも作業をしながらも、どうしても娘のことを考えてしまうのだ。
泣いてないだろうか。
何をしているのか。
主人に負担がかかっているだろうと考えては、早めに終わらせねばと気持ちが急く。
それに一日のスケジュールを常に頭の中に思い描いておかなければ、私はすぐに感覚が狂ってしまったり次にやるべきことが飛んだりする。
だからこそ夜中のお風呂はいい。
“次"を考えなくていいし、もちろん娘が起きていないかは耳をそばだててはいるが、泣いていたらあがればいいだけ。
なんと身軽なことか。
ふと娘がいなければ、もっと色々なことにチャレンジできたであろうという考えが浮かぶ。
配信はもっと長く、回数も増やせただろう。
積極的に県外までライブの遠征にも行けたかもしれない。
夢と子育ての両立で感じるもどかしさも、きっとなかった。
それでも娘が生まれて世界が一変したのだ。
娘が生まれていなければきっと私は今の事務所のオーディションを受けることはなかっただろうし、娘を通して得た様々な思いも一生感じることがなかっただろう。
私は物事を記憶するのが苦手だ。
幼稚園や小学校、中学校の記憶もかなり薄い。
それでも娘と過ごした3年間ははっきりと覚えている。
産院で夜中に泣き止まない娘を思って泣いたこと。
何よりホームシックで悲しかったこと。
6ヶ月を祝ったケーキの種類。
子育てをしながら不安や心配もたくさんあった。
それでも産まなきゃ良かったなんて1ミリも思わない。
出会えて良かった、産まれてきてくれて良かった…
結局は私の宝物なのだ。
娘が小学校に通いはじめればもっと自由時間は増えるだろうし、きっとお友達と出かけることの方が多くなる。
だから今は娘との時間を大切にしよう。
そんな風に思えるのも、深夜のいいところだ。
昔は夜が嫌いだった。
明けない夜はないなんて言葉に反発したり縋ったりしたものだが、今では夜も悪くないな…なんて思うのだから人生は何があるか分からない。
それとも私が少しだけ大人になったのかな。