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おな
2018年7月29日 08:00
今はただ一つ、紺色をした湯呑みだけが逆さにして立っている。「おねえちゃん!」賑やかな商店街に声が響いた。おねえちゃんなんて誰を指しているのか分からない言葉のはずなのに、私はそれが自分の事を呼んでいる声だという事がすぐに分かる。さっきまで聞いていた嗄れ声、さっきまで言われていたおねえちゃんという言葉のせいで。 後ろを振り向くとでんぱちが私の方に向かって駆けてきた。まだ私から三十メートル
2018年7月27日 09:00
私はそんな事分かっているくせにまた彼に抗議する。結局いつも私の思っている通り、彼が私の意見に賛成する事なんてないし、抗議する事自体に喜びを感じている訳でもないけど、それでも、一応は言ってみるのだ。 こうなってくると、私が本当に欲しいのはもっと可愛いティーカップなのか、紺色と薄い緑色をした湯呑みなのか、はたまた彼の私を諭すような言葉なのか、もうどれも欲しいようで、どれも欲しくなんてない気がしてくる
2018年7月25日 09:00
それから一年後のまた同じ季節がやってきた頃に彼は「これ買おう」と湯呑みを指差して言った。彼の指の指す先には紺色と薄い緑色をした、大きさの同じ湯呑みが二つ並んでいる。「え?これ?もっと可愛いやつにしようよ。こんなに渋いのじゃなくてさ」私がそう言った所で彼がそんな言葉耳に入れないであろう事くらい分かっていたけど、それでも一応私は言葉にしてみる。いつもそうだ。その先の未来が分かっていようとも私は
2018年7月23日 08:00
私は別に彼の家に住んでいる訳じゃない。私にもちゃんと帰る家があったし、いわゆる半同棲という状態でもなかった。二人の休みの合った日、お昼過ぎに彼の家に訪れ、夜は帰った。 もちろん、たまに泊まって行く事もあったけど、そんな頻繁な事ではない。それに彼の家に置いているものといえば、上下グレー色のスウェットくらいで、他の物は歯ブラシ一本だって置いていったりしなかった。彼がそういう事を嫌がった訳ではないし
2018年7月21日 09:39
私たちが出会ってから、私たちが同じ家に住み始めるまでに三年という月日が流れた。流れたというより流れていたという方が正しいかもしれない。その三年という月日を数えようとしても、一瞬のように過ぎ去り、結果数えてみた時には既に三年が経っていた。彼が私と出会った頃に住んでいたアパートは六畳一間の1Kの間取りで、私はよく彼の家に行っていたけど、二人でいるにはどうも手狭な部屋だった。 でもそれも、今考え
2018年7月20日 08:00
「何?内緒?」私は彼を茶化すように聞いた。ふざけて聞いている風を装ってはいるけれど、内心では本気で聞きたいと思っている。「いや、別に大したとこじゃないから」そう言って、言葉を濁すばかりだった。もちろん、もっと追求してもいいし、本当に大した所でなければもう一押しで彼は行っていた場所を言うかもしれない。でも、私にはそれができなかった。私は確かに知りたいと思っているはずなのに、結局最後に勝る
2018年7月17日 08:00
電話は唐突に切れ、私の通話口からはツーツーと無機質な音があてもなく洩れていた。そこにはさっきまで溢れていた雑音も、もちろん彼の声だってなく、ただの冷たい機械音だけが私の鼓膜を震わせている。 携帯電話をテーブルに置き、またソファに体を預け窓を眺めた。やっぱりそれが灰色の空であるのか、それとも窓自体が灰色になっているのか、その判断が難しくなってしまう程に、そこに映るのは一面の曖昧で、また、気分を害
2018年7月14日 08:00
2DKの間取りは二人で住むのに丁度よかった。彼はもう少し広い部屋がいいと言ったけど、私たちの少ない給料で生活するとすれば、家賃もさして高くはないこの物件、この2DKが限界だと思う。私はあまり納得していない彼をなんとか説得し、この部屋に二人して越してきた。彼より一日だけ早くこの家に生活を移し、この家で過ごす初めての夜に私は独りでカップラーメンを啜った。端から見れば、酷く寂しい光景に違いない。段
2018年7月5日 08:00
目覚まし時計が鳴らない、珍しい朝だった。何にも邪魔されてない睡眠の中にいたはずなのに、そんな日に限って私は朝の六時半に目を覚ました。もう一度睡眠に抱かれてしまおうと思って、布団から出ずに何度も寝返りを打った。 しかし、どうしても睡眠がもう一度私を抱いてくれる事はない。せっかくの日曜日なのに、そう思っていると私は睡眠からどんどんと遠ざかっていくような気がする。 三十分布団の中で粘ってみても、結
2018年7月2日 08:00
骨の残骸が皿に残る頃に、私の涙も完全に枯れた。頬を濡らした水滴が渇いたせいで頬はパリパリと今にも音をたてそうな程、表面を固くしている。「泣き止んだか?」でんぱちがさっきとは別人かと思う程の優しい声を掛けてくる。 いつの間にか何人かの客が来店し、皆揃ってカウンター席やテーブル席に腰を下ろし、豚生姜焼き定食を頼んでいた。魚と合い戯れていたのは私だけで、それがまた私を随分と孤独へと追いやっ