祝 神田伯山襲名 「生活の中に古典芸能の要素を」 名残惜しい「神田松之丞 ―― 最後の日々への手紙」
2020年2月上旬 ――
「惚れさせ上手なあなたのくせに諦めさせるの下手な方」
「重くなるとも持つ手は二人傘に降れ降れ夜の雪」
「あざの付く程つねっておくれそれをノロケの種にする」
独々逸 ―― 江戸末期、寄席芸人である初代・都々逸坊扇歌が形にして行った、七・七・七・五調か、五・七・七・七・五調の俗曲 ――
(生活の中で、こんな風な古典芸能の要素がさり気なく感じられたら、心が豊かになるなぁ ―― )
(神田松之丞も、もうすぐ真打か、神田伯山になるのか ―― 松之丞時代の最後に、手紙でも書いてみるか ―― )
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松之丞さん、こんにちは。退屈だったので、「問わず語りの松之丞」がどうして面白いのかを分析してみました。表立っては、古典芸能の確かな技術と膨大な知識とを背景にしたフリー・トークが考えられますね。でも、それは結局、単なるアリバイ作りですね。松之丞さんは、国内亡命者です。マイナスの札を集め続けている、稀有なコレクターです。その手持ちの札が、いつか相場が変わって、高いプラス札に転ずる事を狙っている、強かな人です。松之丞さんが、グレーなマッサージ屋に通うのも、そこが、国内亡命者や密入国者の溜まり場だからです。よって、松之丞さんのこの放送の真の意図は、その人達に向けた、何らかの暗号電報なのでしょうね、きっと。それを分かっていながら、何故リスナー達は許容しているのか?それはつまり、リスナー達の殆どが、メイン・ストリートを歩きたくない、引っ込み思案の人達だからなのでしょうね。例えば、本来、H尾M明のような人格に疑いのあるような人には、何を言っても許されるのかもしれませんが、リスナー達の多くは、他者から、いつ、どのような形で批判を受けるかと、怯えながら暮らされているかもしれませんので、なかなか言えませんね。言えませんよ。だから、治外法権を手にした国内亡命者・松之丞さんに、普段思っていても言えない事を代弁して貰って、留飲を下げ、何とか平穏に暮らして行ける。そこが面白い。素晴らしい番組です。
真景累ヶ淵 ―― 誉め殺し
伯山になられても、頑張ってください。
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(さてと ―― 今日も一日、頑張ったなぁ ―― 松之丞の講談は、迫力が有り過ぎて、寝る時にはなかなか聴きづらいから、古今亭志ん朝の「四段目」か、柳家小さんの「笠碁」か、立川志の輔の「大岡裁き」の中のどれかを聴きながら、今日はゆっくり眠ろうか ―― )
☆神田松之丞として最後の日々を過ごされていた、この2020年2月上旬に、僕は実際に、手紙を送ったのでした。