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母と暮らした12年間

 母と暮らした12年間、それは、抑圧からの解放でした。
私は、6歳から44歳まで、ほとんど家族と離れて暮らしておりました。
 盲学校時代はまあ良いとして、その後の役24年間は、精神的にきつい24年間でした。
 その問題のほとんどが、お金に関することでした。
 広島では、働き始めて最初の年の11月に、その問題が起こりました。
 まあ、それを皮切りにずっと悩まされて来たんですが、そのことについては、あとからしっかりと詳述します。
 つまり、ずっとずっとそうやって、不自由な思いをさせられていたので、それを取り返そうと、タガが外れてしまい、今で思えば、かなりの浪費をしてしまっていたかなと、今は反省しています。
 結構遊びましたね。
 いやでも、お仕事だけはしっかりちゃんとしていましたよ。
まあ、親子水入らずの12年間は、ひたすら楽しく過ごしていました。
 でも、母への気遣いはちゃんと忘れませんでしたよ。
 母の生活費もちゃんと渡してましたし、退屈しないように、テレビやラジオも買ってあげました。
 もちろん、夏は暑くならないように、クーラーも設置してあげました。
 母としても、人生最後の12年間は、、一番楽しかったのではないかと思います。
 そういう母も、85歳で息を引き取りました。
 私にとっても、悔いのない12年間だったと思います。
 本日もお読みいただきまして、誠にありがとうございます。
 これからもよろしくお願いします。

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