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「ガス灯」は サイコスリラーだったんだ



図書館の無料上映で、
「ガス灯」を見ました。

この映画は1944年に、イングリット  バーグマン主演で上映された、サイコスリラーです。

1970年以降、心理的虐待を
「ガスライティング」
と言うようになったそうです。


有名な作品ですが、
私は内容を全く知らず、見てる間中、自分の神経を圧迫されるような、正に「ガスライティング」を感じました。
途中から
「早くイングリット  バーグマンを助けてぇ」と、祈り始めたくらいです。

でも、
ふと、主人公を追い詰め精神異常に追い込む夫のセリフを辿ると、
「これって、日常聞く言葉じゃない?」
と、思ったんです。
会社でも、学校でも、家庭でも、相手を支配しコントロールしやすくするには、心理的圧迫は有効と言う事でしょう。


しかし逆に、
自分が心理的圧迫をかけているかもしれません。

誰だって、心に執着を持っていない人っていませんから。
自分の心に執着を持つ人は、誰でも心理的虐待をする事が出来ます。

これは私の事ですが、何をするにもある程度の形、つまり理想系を求めます。
理想系を求めても現実的には無理な事ってありますよね。
でも、理想系を求めると言う強迫観念がある訳です。
そうすると、どうしてもイライラしてしまって、周囲は少なからず『圧迫』を感じるはずです。

一見些細かもしれませんが、精神的虐待とまで行かなくても、精神的圧迫は、至る所に蔓延していてもおかしくないですよね。

映画の最後に犯人である夫が言うんです。
「どうしても宝石が欲しかったんだ。
その欲望には逆らえない。」
って。

この世が平和になるためには、
全ての人が、執着を手放すしかないのかもしれません。


映画の中で、閉鎖されたその空間では、その心理的圧迫に気付く事が出来ません。

でも、主人を救う刑事が現れて、
「君はおかしくない!」
と、心の平常を促す訳です。

硬い体を覆った膜を剥がしてくれる様です。


誰か一人、必ず、
「大丈夫」
と言ってくれる人の存在は大きいですね。


そこでもふと思った事があったんです。認知症の初期に物忘れが増えた時、
「大丈夫。ここにあったよ。誰だって物忘れくらいするって。」
と、誰かが言い続けたら、
もしかしたら、
「認知症って進まないんじゃない?」
って事です。

「また忘れたの?ボケたんじゃない?」
「痴呆になったんじゃない?」
って、言われ続けたら、認知症が出来上がるんじゃないかと映画を見ていて思いました。

そう言われ続けて、主人公はドンドン精神を病んで行きましたから…。
言霊…と言うのも、ありますよね。

放つなら、やっぱりキレイな言葉の方が良さそうです。
っていうか、「愛」ある言葉は大切ですね。



映画は、1940年代のもので、時代がとても古くて、ガス灯、馬車と環境が大分違います。
それ以外にも見えて来るのが、ヒエラルキーです。
華族、貴族社会が可視化出来ます。
華族、貴族は本当に華やかな生活をしています。
犯人たる夫が、使用人に、
「言うことが聞けないなら首にするぞ。」
と、脅すシーンがあります。
使用人は、住み込みで24時間勤務時間です。
仕事を首になれば住む場所も、収入も絶たれるし、年間それしかお給料ないの?と思うくらい薄給です。
なので、主人の言いつけからは逆らえません。

出生の環境に適応して生きて行く…って事ですね。

見えている環境は違っても、そんなものかな…と思います。

不思議の国のアリスで、赤の女王が、
「その場所に留まりたかったら、常に全速力で走り続けなければならない。」
と、言っています。

出生の環境以外に飛び出したかったら、
マッハで走る必要がありそうです。


感想ではありませんが、
知りたがりの隣人が家に入ろうとし、入れなかったと言うシーンがありました。
多分、テレビでそのシーンを見たのだと思いますが、その意味のないワンシーンだけ知っていて、まるでデジャヴの様でした。
意味のないワンシーンを覚えてるって不思議じゃないですか?
なんの感情も動かないものでも、人って鮮明に記憶しているものなんですね。


最後に、
イングリット  バーグマンは、キレイでしたと共に、見終わった時の開放感がすごかったです。

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