【子育て】あれから2年、息子は別人へと成長した
運動会も無事に終わり、秋を通り過ぎ冬の寒さになった2024年10月半ば。
noteを書く意味がボヤケてしまったのと、他に優先事項が出来てしまったことで、書くことから少し遠のいてしまっていた。
しかし、朝起きると昔の記事を黙々と読んで下さった方がいらして、自分もスキを頂戴した昔の記事を読んでみた。
すると、まあ、こんな事があったのね!みたいな、まるで他人事の様な気持ちになった。
だって、幼稚園をあんなに嫌がっていた息子はもういない。
それどころか、今は幼稚園楽し〜と言って休むことを拒否する具合だ。
鼻水出ても元気なら、自らの判断で行くか行かないかを選択出来る。
幼稚園を休みたい、と言う時はよっぽど身体がしんどい時だけ。
親を憂鬱にさせるほど、拒絶していた幼稚園は、今の息子にとってはただの楽しい場所に変わっていた。
あの行きたくない状態は、いったい何だったのだろう?
息子にあの時の事を問いただしても、不思議そうに、
「どうしてあんなに泣いていたんだろうね〜」と、これまた他人事だ。
年中さん頃までは、少し嫌がることがあり、度々お迎え希望もあったが、年長さんになったら、何事もなかったかの様に毎日当たり前の様に幼稚園へ通っている。
これがまた小学生になったら再び、イヤだ、、と言って泣くのだろうか?
心配だ。
ただでさえ、息子は大人しい。
何でも素直に言うことを聞く、抜群に良い子だ。
悪いことなどしない。
むしろふざけている子を注意する優等生タイプだ。
これは、裏を返せばイジメられやすいタイプではなかろうか?
心配だ。
幼稚園ではイジメると言う概念がまだないが、小学生になれば気に入らない子はのけ者にされる。
集団になれば必ずボスが現れる。
ボスと上手くやらなければ安泰な学生生活は送れない。
昭和時代を過ごした私は、そんなイメージしか思い浮かばない。
あれから40年も経てば、何か変わっているのだろうか?
子どもが楽しそうに学校に行ってくれる、それだけで親のメンタルは安定する。
2年前の私が、2年後には楽しそうに幼稚園へ通っている息子がいることを解っていたら、ここまで心配はしなかっただろうか?
いや、いや、解っていたとしても、その時に嫌がる息子を心配して不安定になっていたと思う。
どんなに大丈夫と解っていても、その時の息子の気持ちに寄り添ってしまうだろう。
昔のnoteを振り返ると、まだ自分の脳みそも冴え渡っているのが伺える。
たった2年で息子は別人のように成長したのに、私は、別人のように老いた。
更年期が明けたらまた冴え渡った思考に戻るのだろうか?
老いると色々どうでも良くなる。
欲も行動力も無くなる。
悲しい変化だ。
成長しかない息子の未来と、老いるしかない私の未来。
心配の闇の中にいても、それはいつか明るい花畑に抜けられる。
そうやってやり過ごしていく。
子育ては、季節の移り変わりに似ている。
その時期ごとに様々な心の景色に移り変わり、過ぎ去ってしまえばその感情など忘れてしまう。
夏の暑さを忘れるように、夜泣きの大変さも、イヤイヤ期も、幼稚園の行き渋りも、過ぎ去って行く季節のようなものだ。
今日は、来年通う小学校へ行って、就学前健診を受ける。
着々と入学準備が始まる。
久々にnoteと向き合うきっかけをくれた貴重な読者様に感謝だ。
何にもならなくても、スキを貰えなくても、読んでもらえなくても、書く意味はあるのだと、痛感する。
あの時の自分と向き合える場所がnoteにはあるのだから。