あの失敗があったから
「14時☓☓分、被疑者確保!」
20世紀最後の年のある日、
僕は大阪の路上で目付きの鋭い男たちに囲まれていた。
ずっと何者かになりたかった。
実家の商売は弟が継いでいた。
25も過ぎた行き場のない長男は
パチンコ屋の島(台が並ぶ列)の一部を
当時新しく始まったパチスロに改装する
椅子屋のアルバイトに明け暮れていた。
1軒工事して1万5千円。1日2軒の日もある。
疲れるし時間は長いが割がいいので、
関西各地で来る日も来る日も
ドリルで床に穴を開けたり穴にボルトで
座金を固定したりと脱水症状になりながら
新しい椅子を取り付けていた。
ただそれだけの毎日を過ごす自分にも、
21世紀は容赦なく近づいてきていた。
たぶんノストラダムスの大予言は外れる、
だとしたら、ちょっとマズい。
まだ何者にもなってない。
ちょうどその頃、
夜な夜な自分のアパートに集まり
しょっちゅう飲み食いしていた仲間たちは、
就職したり留学したりと
それぞれの道を歩み始めていた。
年齢も大学も違うバイト仲間たち。
それぞれコンビニの夜勤の相方として
本音で語り合ってきた気のおけない友だった。
でも、急に遠く霞んで見えるところまで行ってしまった。
ひとり古いアパートに取り残された僕は、
夜毎不安な気持ちを積み重ねていくばかりだった。
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そんなとき、友人Aが「知り合いが人を探している」
という話を持ってきた。
聞けばレストランを開業するに当たり、
ホールのスタッフとして若くて元気のいい若者を
探しているとのことだった。
その友人の知り合い(Xとする)も同年代の若者だった。
何者かになる=自分の居場所を見つける。
大学時代打ち込んだ音楽からも遠ざかり、
割の良いバイトで稼いだ金で日々享楽的に過ごしていても
楽しいのは瞬間だけで、心底気持ちは晴れなかった。
友も遠くに行ってしまった。
自分の居場所を見つけねばならない。
早く何者かにならなきゃ。
なんとも言えない焦燥感があった。
Xに連れられ「オーナー」と呼ばれる男に会いに行った。
にこやかで人の良さそうな50代の小太りの男だった。
探しているのはただのアルバイトではなく、
ともに経営を担うマネージャー候補だという。
会社に出資もしてもらうので、自分の頑張り次第で
取り分も増えるからやりがいも大きいと熱っぽく説明され、
店の青写真を見せられたり場所の下見にも連れて行かれた。
やっと何者かになれるかもしれないと思った。
オーナーは「いっしょに頑張ろう」と僕を仲間にした。
幹部になるには出資をする必要があった。200万円以上。
手持ちがないならと消費者金融から金を借りる方法も教わった。
大阪で一人暮らしを始めてからずっと貧乏だったし、
楽器をローンで買ったりしたことはあるが、
それでもそんなところからはお金を借りたことはなかった。
僕は過程の胡散臭さを見落とし、手に入るであろう
「何者かになる」ことばかり追っていた。
なんとか知り合いから、消費者金融から、200万円をかき集めた。
金を渡したらオーナーからもXからも連絡が途絶えた。
何度電話を掛けてもナシのつぶて。
不安で我慢できず立ち回り先で待ち伏せて彼らをつかまえた。
喫茶店でAとともに2人を問い詰め返金を求めた。
友人Bのアイデアで座るなり「写ルンです」で彼らを写真に撮った。
オーナーはみるみるうちに汗だくになった。
こんなに目の前で汗をボタボタたれ流す人間を見たことがない。
運動もしてないのに。
「『ごっつええ感じ』のコントみたいやな」
と僕は妙に冷静にオーナーの姿を眺めつつ、
あ、これは騙されたんだなと悟った。
喫茶店を出て2人を自分の車に押し込みH警察署に向かった。
途中暴れて車の後部座席から脱出しようとしたオーナーを友人が抑え、
僕は運転席から彼を殴った。
警察は何もしてくれなかった。拍子抜けするほどに。
「民事不介入やから」を連呼した。
そしてオーナーが前科7犯の詐欺師ということだけ教えてくれた。
詐欺師と被害者の僕は警察署を出された。
なんでや、意味がわからん。お金盗られ損?
頭の中が混乱したままだったけど、
「すみません、お金はお返しします
でもいまは手持ちがないのでまた連絡します」
と土下座する詐欺師を
はいそうですかと逃がすわけには行かなかった。
詐欺師を自分のアパートに連れ帰り、返済を迫った。
Xも僕と立場は同じだった。
たまたまパチンコ屋で声をかけられ行動を共にしていたそうだ。
Aが連絡をとったのだろう。
遠くに行ってしまったはずの友人たちがスーツ姿で集まり、
僕の休憩する時間を作ってくれたり、弁護士への相談など
ほうぼう掛け合ったりもしてくれた。すこし緊張が和らいだ。
2日後だったか、1本電話だけさせてほしいとのことで
Aの付添のもとどこかに電話した詐欺師は、
「明日家族と合流してお金をお返しします」
と時間と場所を告げた。Aと詐欺師と3人で行くことにした。
待ち合わせ場所はN区役所近くの公園。
詐欺師とAが先に家族との合流場所へ。
近くの車の中で僕はひとり待機していた。
視界の先にスッと目付きの鋭い男が入ってきた。
その瞬間携帯電話が鳴った。Aからだ。
「とにかく逃げろ!騙されたっ!」
ヤクザか?車を急発進させようと思う間もなく
前方に車が割り込んできて、周囲から男たちが走り込んできた。
「警察や、分かってるな。降りぃ!」
目付きの鋭い7,8人の男たちに囲まれ
僕は確保された。
「『踊る大捜査線』の最終回やん」
僕は他人事のように周りを見渡していた。
見上げたら抜けるような青空が広がっていた。
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N警察署の外観は高い鉄の塀に囲まれた要塞のようだった。
数日前に訪れたH警察署とはまったく別の施設みたいだ。
武装した警官が入り口に立っているのが車窓から見えた。
後部座席で両脇をいかつい男に固められた僕を載せた車は
要塞の地下に滑り込んでいった。
取調室、初めて入った。四方が真っ白のコンクリート。
でもよく見たらところどころ靴跡が。
どういうシチュエーションでこうなんねん。模様みたいやな。
やっぱり妙に冷静だった。
「数日前にH警察署に詐欺被害を訴えました。
犯人からお金を取り戻そうとしていました。」
机の向こう側に座る怖い顔のひとに、僕は淡々と告げた。
怖い顔のひとも確保のときの厳しさはなく、
話を聞いてすぐ確認しに外へ出ていった。
帰ってきた刑事さんは苦笑いだった。
「おかしい思たんや。こっちはヤクザやと聞いて気合入ってたら
ニイちゃんらしかおれへんやろ。びっくりしたわ。」
詐欺師が家族に電話した際、我々がわからないような方法で
ヤクザに捕まっている旨伝えたのか。
母親が「息子がヤクザに捕まっており、金銭を要求されている」
と警察に通報したらしい。
「ニイちゃんな、悪いのはあの詐欺師やから気の毒やねんけど、
やったことは感心できんで。事情が事情やから今回はお咎めなしやけど。」
いやいや警察が何もしてくれへんからこうなったんやろ、
と内心ムッとしながら、すぐに友人Aのことを思った。
Aは僕と詐欺師を繋いでしまった責任感からか
詐欺師を詰問した日からずっと僕と行動を共にしていた。
何者でもない僕と違ってAは大学院の入試を控えていた。
彼がその分野で深く学びたいということは詳しく聞いていた。
危うくその夢を潰してしまったかもしれないと気づいた時、
激しい動揺が心の中に急速に広がって行くのを感じた。
しばらくして取調室から帰っていいよと外へ出された。
奥の取調室から警察官の大きな怒鳴り声と
机を蹴るような音が聞こえてきた。
「あんなニイちゃんら騙したんかボケ!」
奥の廊下のソファにAが座っていた。
Aの前に立ち何かを言おうとした途端泣きじゃくってしまった。
見たら同じタイミングで彼も泣いていた。
お互いがお互いを案じて、謝りながらずっと泣いていた。
窓の外は鈍いオレンジ色に染まっていた。
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この出来事をきっかけに僕は大阪を引き払った。
お世話になったひとにも迷惑かけたりしたので。
一生過ごすつもりだったんだけど、仕方なく。
実家の仕事を手伝いながら身の振り方を考えていた。
借金もあるし。いつまでも家業の手伝いとはいかないし。
そんな時、小学生の頃なりたかった仕事のことをふと思い出した。
「ラジオのDJか先生になりたい」
配達の仕事を終えてから、毎日求人情報を漁った。
そこでたまたま「通信制高校の生徒への指導」という求人を見つけた。
頬杖をついた感じ悪い圧迫面接みたいなのを経て21世紀スタートと共に
「サポート校」という塾だかなんだかわからないところの職員になった。
60人ほどいた生徒たちは、在籍高校や職員が何度も変わるサポート校の体制のせいで、大人に対して不信感の塊だった。
教室は荒れていた。授業中は紙くずが飛び交い、職員室の机の上を飛んで歩いている生徒もいた。生徒同士のトラブルも絶えない。
でも他に行く学校がなかったり、普通の高校から転校してきたような子たちだから力になりたい。彼らは被害者だ。
最初は「理想の先生」を演じていた。標準語でていねいに話していた。
でも不信感の塊はそう簡単にどうにかなるものでもない。
「どうせお前もすぐやめんだろ」と取り付くシマもなかった。
ある日の授業中、教室の一番うしろに大きな穴が空いた。
ドラえもんの通り抜けフープくらいのデカイのが。
そこにいたグループがふざけて壁を剥がしたらしい。
「ほうきとちりとり持ってきてそこ片付けなさい」
「あ?うるせえ。お前は黙って授業やっとれて!」
「もう一回言うよ、片付けなさい」
「・・・・」
そこから僕は標準語を忘れてしまった。
近付いていったら前蹴りで腹を蹴られた。
あー、もうな。1ヶ月以上我慢したか。
ガキども全然可愛くないわ。
どうせやめるなら○○いてからにするか。
と1秒足らず考えてから僕に蹴りを入れて逃げた生徒を追いかけた。
そこから1対6。俗に言うアクションシーン。描写は割愛カッツ・アイ。
かなりの大騒ぎになったけど結果的にはそれが良かった。
なによりその蹴った生徒とすぐに仲良くなった。
180cm、僕とそう変わらないデカさの元野球少年。
練習中の事故で目を負傷しドロップアウト。
よくよく話してみると真っ直ぐで人懐っこいかわいいやつ。
彼をきっかけに生徒と先生ではなく、
「人と人とのむき出しの関係」がはじまり、
それがどんどんいい効果を生むということを実感した。
教室の雰囲気は幾度かのアクションシーンを経て落ち着き、
2年たたずに僕は教室長になり、ついでに30歳になった。
野球少年は学校全体のリーダーとして活躍し、
卒業後まで後輩の面倒をよくみてくれた。
いまでも最初のアクションシーンのことを彼が話す。
「あの時さあ、オレ山本さんに片手で持ち上げられて耳元で
『お前ホンマに(自主規制)からな』ってホントにやる人の
トーンで言われてさ、顔以外でお願いしますって思ったもん」
いや、そんなことは言ってない。たぶん。
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詐欺にあうまで、僕は他人を心底信用することができなかった。
友達も家族も所詮他人。最後はひとりだ、と感じながら生きてきた。
相談できる大人なんていなかった。
でも、詐欺に遭った時、自分の危険を顧みず僕を守ろうとした他人がいた。
ピンチのときに側にいて話を聞いてくれる他人がいた。
全力で僕を陥れようとする他人もいるけど正反対のひともいる。
勝手に孤独になってすねていたけど、何人もの友達が助けに来てくれた。
助けてくれる大人がいなかったんじゃない。気遣ってくれるひとに対し
その声に耳をふさいでいたのは僕だったんだ。
僕は自分が大きな勘違いをしていることに気づいた。
心開かずに他人と深く交わるなんて不可能だ。
そして今や可愛くて仕方がない生徒たちも、僕と同じだと気づいた。
うまく行かなくて、焦って、孤独になって、すねて行動を誤って。
あのときの僕そのものだ。
あのときの自分は救ってやれないけど、いまここで迷い苦しみ、
行き場のない怒りを乱暴な行為で発散させているコイツラに
寄り添って話聞いて一緒に怒ったり泣いたりくらいは出来るのかな。
それが仕事になるのって嬉しいことなんだな。
これが20年のキャリアの出発点になった。
僕は先日50歳になった。
芸人にはなれなかったけど、まあまあオモロイ教員にはなったかもしれない。通常ほぼふざけてるし。
教員3年目には暴力や恐怖で人を支配することは無能の所業だと悟った。
以来、人と人として丁寧な対話を繰り返し信頼関係を結ぶことこそが
教育の前提だと思っている。
あのとき詐欺に遭わなかったらどんな人生だったかなと思うし、騙されたことは今でも後悔している。いろいろなものを失ったけど得るものも今では失ったものより大きくなった。
自分の様々な失敗や挫折の経験が誰かの役に立つこともある。
焦りや不安が人をどう迷わせるのかを実感を持って伝えることや、
さまざまな詐欺的な手法から生徒たちを守ることができた事例も多い。
おかげでこの20年、若者の人生のターニングポイントに何度も立ち会えたことは光栄だし幸せなことだと感謝している。
若者にむき出しの心で寄り添い、対話しながらその変化や成長を見守る。そんな生きる意味を手に入れることができたのは何より幸せだ。
まだ何者かになった感覚はない。でももう焦らない。
素晴らしい若者たちの心に寄り添った記憶の積み重ねがあるから。
人間万事塞翁が馬とはよく言うけど、イヤほんまに、なんだよな。
あの失敗があったから、今僕はここにいる。
いやでもさ、
まじであのとき刑事ドラマみたいやったから。
(一気に書いてしまった。めんどくさいから校正しない。読みにくいでしょごめんね。)