シェルター、聖域、それがベッド
絶対にお風呂に入って寝巻きに着替えてからじゃないと布団に入らない。
特にきっかけとかはなく昔からそうだった、くらいのふんわりしたものなのにこれだけはもうめっちゃ、めっちゃ頑なにバチバチ守り倒している。いいことといえばこの謎のこだわりのおかげで私はメイクを落とさず寝たことがないくらいのものなのだが、改めて考えるとなぜそう決めているかの理由をすぐに思いつかなかったので考えてみた。
結論としては、ベッドは清潔に保っていたい、おわり、だった。それだけじゃつまらんのでもうちょっと語らせて欲しい。
多感な思春期をとうの昔に終え、大人になった今どちらかといえば潔癖…?という感じに落ち着いた。別に外の世界は汚いと思っているわけではない。それでもうちと外、具体的には靴を脱ぐ前後でなんとなく分けていたいのだ。その境界線は私の場合かなりはっきりしている。
外界はほとんどの刺激がイレギュラーで想定外だ。同じ道を通るルーティンのように見えて、通行人も落ち葉の数や色も全部違う。目に見えないものだってそうだ。漂う匂いも、すれ違う人の気持ちも、あるかないか肉眼ではわからない色々な菌も、いつのまにか白いズボンに撥ねた泥も。そんな想定外を愛しながらも引きずって私は日々を歩き、うちに帰るのだ。
私にとって「うち」が、家の中そのものであるだけではないのだと思う。安息やプライバシーをもたらしながら心身の健康を司り明日を生きる活力を補う場所であり、ただ帰る場所としてのみ機能するものではない。ほとんどのものが希望や意図通りに存在していて、自分で整えている場所なのに「うち」は疲れて帰ってきた私を迎えてくれているような気さえする。
その特徴が特に色濃いのがベッドなのだ。掛け布団を隔てて私と世界は(文字通り)柔らかく隔絶する。眠っている間は当然意識はない。でも、重力に逆らわない姿勢も、暖かい寝具も、何もかもが心地よく作用して私を包んでいる。上等なシーツを使っているとかそういうわけでは全然ないけどとにかく心地よい。
そう、守られているような気さえしてくる…寝具を整えたのもその寝具に眠る選択をしたのも私なのに。無意識を越えて幽体離脱したみたいな気持ちにさえなるご自愛。体の外側のものだが、ある意味では体の内側みたいだなと思う。ベッドはいつだって変わらない。日に当てれば良い香りになるし寝相によって布のたわみが変わるのはもちろんそうだが、根本的な部分で機能も質感も滅多に変わらない。最も身近なある種の普遍だ。そこに、流転の極みたる外のあれこれを纏った服のまま滑り込むことは、私はまだ出来ないし誰にも許したことがない。マイルールや決め事の1つだと思ってるが、もうちょっと大きな、たとえばライフスタイルとか家庭内文化とか意識とか、そんな話かもしれない。
ベッドはシェルターであり聖域であり、私を大事にしたい私自身でもある。ベッド厳守派は周りにそんなに多くないのだが、インターネッツで時々出会うと密かに同志よ、と思ったりしている。
寝てる間に汗かくじゃんとかいう話じゃないのだ。外は外、うちはうち、でありたいというささやかな抵抗にも似た気持ち。
今夜も世界にひとときの別れを告げ、柔らかく隔絶された私だけの場所で眠りにつくのが楽しみだ。