夕立という名前のこと
遠山夕立という名前を使い始めて何年か経つ。
もちろんペンネームなのであるが、改めて見ると不思議な文字列だ。遠い山の夕立。
例えば長谷川白紙さんや斉藤ネコさんや渡辺平日さんのように、構成は本名っぽいけどなんとなく筆名とわかるそれに大変強い憧れがあった。普遍的な名字と、なんらかの愛を託されている単語というつくりになっていそうと思ったとき、私もそうしようと思った。
で、私がなんらかの愛を託す言葉ってなんだ?と思った時にふと思い出したのが夕立だったのだ。
昔から夕立という現象が好きだ。
勢いよく降り注ぐぬるい滝のような雨は、それまでの時間を急激に変える。普段なら入らない店に駆け込んで雨宿りをする人、たまたま居合わせたコンビニで手頃な傘を買う人、電車の中でヤバいと小さくつぶやいてスマホを出す人、外の気配のしない部屋を出て呆然とする人。みな夕立がなければ訪れない状況だと思うし、変化を伴った結果そこには大小様々な物語が生まれる。
あと、夕立は抗いようのない自然現象そのものではあるが何だか優しくて好きなのだ。はじまりは突然のようで、あっ暗くなってきたな、雷が鳴ってるな、となってから降り出す親切設計。うだる暑さごと洗い流して町中サッパリさせてから、また晴れたりする。運が良ければ虹が見える。夕焼けがのぞく。雨上がりの風は湿っていて気持ちが良い。暑い暑い夏の日に夕立が来て嬉しかった時が少なくないのだ。
そんなことを思い出して、恐れ多くも夕立を名乗ろうと決めたのだった。変化と物語があって、激しくも優しい。それはまさしく私にとってのクリエイティブの概念そのもののようでもある。
何より私は、夏生まれだ。