「どっちでもいい」と言える強さ
キャリアグラムの僧侶タイプさんは、とっても平和主義。
共感力が高く、周りの空気を読むことに長けています。そのため、自分の意見を表に出すことが難しかったり、他人の意見に流されやすいと感じる方も多いかもしれません。
例えば、友人同士の喧嘩の間に立たされた時に、つい「どっちの考え方もあるよね〜」と言ってしまい、結果的にトラブルになったりすることもあります。
実際、僧侶タイプさんに出会うと
「どっちでもいいと言ってしまう自分が嫌だ」
「何か聞かれても"わからない"と答えてしまう。自分の意見が無いのかもしれない」
と悩まれている方も多いです。
しかし、私はお話を伺ううちにこう思うようになったんです。
自分には意見がないと思う場面もあるかもしれませんが、実は「どっちでもいい」というのは「どっちもいいね」につながり、それは非常に強いことなのだと。
今回は「どっちでもいい」と言えることの強さについてお伝えします。
◆「どっちでもいい」という強さ
「どっちでもいい」と言えることは、「どっちもいい」に昇華することができます。
つまり、どちらの意見も受け入れられる懐の広さを持っている証拠でもあります。
どちらが正しいか、どちらが間違っているかという二者択一ではなく、双方に良い部分があることを認め、全てを包み込む。その姿勢は、一周回ってみた時に、非常に強い立場ではないでしょうか?
現代では、多くの人が何かしらの立場を取らなければならないというプレッシャーにさらされています。
しかし、僧侶タイプの方が持つ「全てを受け入れる」姿勢は、実際にはどんな状況にも柔軟に対応できる強さの現れなのかもしれません。
これは、周囲に安心感や信頼感を与える素晴らしい力でもあります。
◆「わからない」が答えになる時もある
実は、私自身も僧侶タイプの面が出ている時に「自分の意見がわからない」と感じたことがあります。
何が正しいか判断できず、迷ってしまう…。
あっちもいいし、こっちもいい…。
いやでも…。
と自分の中で決着がつけられないこと。
誰でも身に覚えがあるのではないでしょうか?
でも、ふと思ったんです。
もしかしたらその時、「わからない」が自分の答えだったのではないかと。
そもそも全ての出来事において完璧な決着がつくことの方が稀です。
わからないこと・グレーであること・まるでまぜこぜのマーブル模様のようになってしまうこと。その方が圧倒的に多いはずです。
そして時間をかけ、決着に近づけるような答えが見えてくる。
今の自分では答えが見えないこともある。
「わからないことが今の答えである」そう、気づくことも大切であると思います。
また、「わからない」というのは、決して弱さや不安定さを示すものではなく、さまざまな可能性があるかもしれないという余白であり、余裕なのかもしれません。
だからこそ、時には「わからない」という答えも大切な選択肢の一つとして尊重していいんじゃないでしょうか。
◆自分の強さを信じて
もし「どっちでもいい」「わからない」という自分に悩んでいる僧侶タイプの方がいたら、その姿勢こそが懐の広さであり、無限大の可能性を受け入れる強さだということを伝えたいです。
自分の価値観を疑わず、その強みを信じ、自信に変えていくことで、さらに大きな存在感を発揮できるはずです。
どんな可能性も否定しないこと。
それはきっと多くの未来を作り上げていく種になります。
そんな種をまく人であってほしいと、私はそう思っています。
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