ギブとテイクの匙加減
よく、「ありがとうとごめんなさいが言える関係が理想です」とか言うじゃないですか。あれって大事は大事だと思うけど、それ以上に寄り添いの言葉って大事だなと思うのです。
完全にゴリラゴリラゲリンベイの影響なのですが、引き続き体調悪いと伝えてるのに、心配する言葉がけゼロ。本当に興味ないんだろうなと思う。自分のことしか見えてないというか。
ほんとに具合が悪いため、「すいませんが、体がしんどいのでしばらく返信が遅れると思います」と書いたら、「うんうん、大丈夫よー」と。やはり馬鹿なのか?私のしばらくは永遠とも読むぞ。
前回は心配する言葉がけと書いたが、心配されすぎるのも苦手であることを思い出し、じゃあ一体何を求めているのかと考えたとき、適度な配慮であった。これに関しては相手が誰かとかは関係なく、辛そうな人を前にした時の反応として私が求めるものなのだろう。
この匙加減、それこそ相性だと思う。
この時にこの反応を期待しているって人にはあると思っていて、ただ、相手がそれにどう応えるかは強要できず、応えるか応えないかも相手の自由である。
だからそのギブとテイクのバランスが良い相手とだと一緒にいて楽なんだろうなと思う。私にはあまり、「好きだから許せる」とか「特別だから許せる」みたいなのなくて、誰であっても嫌なものは嫌である。ある意味平等にキレる。
冒頭に書いた「ありがとうとごめんなさいが言える」って話、なんか引っかかるなと思っていたら、母親から何かあるたびに言われてきたからだった。いちいち呪いをかけるの本当にやめていただきたい。考え方自体は間違ってないと思うし、良いことだとも思うけど、同時に相手に強要すべきものでもないとも思う。平謝りとか心のこもってない感謝とか、場を収めるために言うのは必要かもだけど、それ以外でいちいち言わなくてもいいと正直思う。
むしろしんどい相手を気遣うことができる方が正しいかと。ふと思い出しちゃったけど、30代前半で海外勤務して体調崩しまくってたとき母親に連絡を取らずにいて、回復したところで久々に近況報告したら「そんな状況と聞いて心配でたまりません、何でそんなことになるのか意味が分かりません。それでも連絡を何か月もしてこないのはおかしい。これ以上心配させないで」というような内容の返事が来て、本当に無理だと思ったのを思い出した。そりゃ私も悪かったけど30歳すぎた大人なんだから放っといてくれと思うし、一方的に心配アピールをされて、体調が悪かった私を全否定されて、この人何?追い詰めたいのか?って思ったことがあった。そしてこの場面で感謝しない・謝らない私に対して母は苛立っていたようだった。
母親と私はギブとテイクのバランスが全然違うのだろう。私自身も母の気持ちは理解できないし、母も私の気持ちは理解できない。だから声かけがお互い求めてないものとなりバランスを崩す。相性悪いってことね。
まさかゲリンベイの話から母の話になるとは思っていなかったが、少なくともゲリンベイと私のコミュニケーションの相性は悪いようなので、このままフェードアウトしたい。ずっと体調悪いってことでいいんじゃないかなと。しばらくと書いて永遠、ね。
それにしても本当に具合が悪い。昨日久々に腹痛、今朝も謎の吐き気。身体がつらい時くらいせめて心地の良い言葉をくれる人とコミュニケーション取りたいと思った。