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駆け出しライターのわたしがnoteを書く理由は、企画力を発信できるから

最近、「わたしはライターです」と名乗るようにしている。

ライターの大先輩 まなみさんから、「名乗ったときからライターだよ」と教えてもらったことや、さとゆみさんの著書『書く仕事がしたい』に「周囲にライターと名乗ることからがスタート」と書いてあったことが理由だ。でも、わたしにとってはやっぱり勇気がいる自己紹介である。

先日、はじめましての方に「ライターをやっています」と自己紹介をしたら、「どこで書いているんですか?」と聞かれた。その方の職業はプレスで、ライターと関わる機会が多いとおっしゃっていたので、日常的なラリーなのだろう。

「今は主にnoteで発信しています」というと、「あ、なるほど」と返ってきて会話が終わった。決して悪気のあるなるほど、ではなかったと思う。

でも、2つの考えが頭をよぎった。

「なるほどにどんな意味があったかは測れない。今できることをやっているから胸を張ろう」

「どこかに掲載されてこそライターなのかな…」

その方と一連のやりとりが終わったあと、メディアではなくnoteで発信しているからこそ伝えられることはなんだろうと考えた。

出てきた答えは、【noteなら企画力を発信できる】だった。

クライアントがいるライティングでは、掲載媒体の雰囲気や書いてほしい内容があることが多いだろうが、noteは何を書いてもだれにも責められない。

企画力を発信することについては、今進行しているインタビュー自主企画が最たる例だと思う。

この企画をはじめたことで、「どんな記事を書くのですか?」という質問に、「今は、両手が物語ることを聞くインタビューをしています」と答えるなど、企画が自分を紹介する言葉になった。
「インタビューをしていきたいと思っています」より、インパクトがありわかりやすいと思っている。

また、この企画の意外な産物は、インタビューを受けてくれたり、読んでくれている人が、わたしを別のだれかに話すときに「あゆは、両手が物語ることをインタビューしているんだよ。おもしろいでしょ?」と、わたしとその企画を紐づけて紹介してくれたことだった。だれにも止められることのない、noteで書いた成果のひとつだと思う。

ただ、上述のインタビュー自主企画ほど名打たなくても、企画力は表現できると思っている。

たとえば、1冊の本の紹介ひとつ取っても、そもそもどんな本を選ぶのか、選んだ本にどんな考えを持つのか、noteでは純粋なわたしの切り口を発信できる。

といいつつ、毎日ぐるぐる悩みながら文章を書いている。ありきたりな文章になることが悔しくてたまらないし、本や文章を読みながら「こんな言い回し思いつかないよ...」と弱気になることがある。ライターを名乗るには、まだまだ実力不足だということもよくわかっている。
でも、文章を書くことに対してモヤモヤしたり、悔しくなったりするのも、「文章を書くこと」が自分の生活に近づいている証拠なのかもしれない。

また、悩んだ先に表現したい言葉が見つかり、そこからまた新たな発見をして気づきが増えたり、記事を読んでもらえることがなによりうれしいから、わたしはライターを続けたい。

そして、ライターのわたしが物事を切り取る視点を、これからもnoteで発信していきたいと思う。

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ここまでの文章をnoteの下書きに入れていたら、勇気が出る記事が目に飛び込んできた。

ゆぴさんのnoteに背中を押されて、このnoteを世に放つことができる。ありがとうございます!

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