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県2部リーグからJ3リーグまでの歩み(高校~就職~福島夢集団ユンカース)


初回は、高校から専門学校へ入学し、就職~福島ユナイテッドに関わるようになったところまでについてまとめてみました。


トレーナーになろうと思ったきっかけ


私、もともと小学校はソフトボールをしていて、その後中学~高校まではずっと野球部に所属していました。(バッティングセンスはそこそこあったと思うけど、守備面に難ありでした。。苦笑)

今振り返ると、ちょうど高校2年生の時に、新1年生を教育する係に任命されて、どうやって教えたらいいのかを試行錯誤する日々を過ごす中、徐々に1年生が上手くなっていく姿を見た時の喜びが、トレーナーという道を進むきっかけになったと思っています。それと合わせて、自分はケガが多く満足なコンディションで高校3年間を送れなかった経験から、そういった人をなるべく少なくしたい!といった思いも強かったです。

3年生になり、進学を考えトレーナーについて調べていた時に「アスレティックトレーナー」という資格があることを知ります。その資格を取得する為には、認可校としていくつかの大学や専門学校がありましたが、当時は知識や技術を身につけて早く困っている人の助けになりたいという思いで専門学校を選びました。(高校での成績があまり良くなかったからかもしれませんが…)


専門学校入学~就職


高校を卒業し、仙台にある仙台リゾート&スポーツ専門学校に入学します。

頑張ってアスレティックトレーナーの資格をとるぞー!と意気込んでいた自分は、入学してしばらく経った時に自分の認識に誤りがあったことに気づきます。

自分:専門学校でアスレティックトレーナーの資格が取得できる!
現実:専門学校でアスレティックトレーナーの資格を取得する為の試験を受けられる資格がとれる


・・・!?



愕然としましたね。
頑張ればとりあえず2年間のうちに取得できるんだろう。と甘く考えていた自分のリサーチ不足が原因なのでなんとも言えませんが、実際には当時の同級生にも同じような思いをした人はたくさんいたはず。苦笑

そんな感じで、アスレティックトレーナーという資格を取得する為にはとても大きな壁があることを知ることから専門学校生活はスタートしました。

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整形外科のリハビリ担当トレーナーからキャリアをスタートし、アスレティックトレーナーから現在はS&Cコーチとして1つのチームに15年間関わってきた自分が見たチームへの想いや気づき、トレーナーとして重要だと思ったことなどについて書いていきます。

1つのチームで県2部からJ3リーグまでの15年間の経験を振り返ってみました。その中で起きたことや感じたことについて綴っています。

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