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『繕い合う・こと』

「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2023」にて、『繕い合う・こと』を鑑賞。

試写で一度観ていた作品。
もっと言うなら、脚本の初期段階から何度も読んで、アドバイスもしていた作品。

試写の後、スタッフの皆から、「もっとこうしたら良くなる」という意見が結構出ていました。

それは、作り手にはとてもありがたい事。

追撮も行われたという事で、どう変わったのか気になっていましたが、思っていた以上に変わっていました。

みんなから出た意見。それを一度自分に取り込んでみて、消化し、でも人の意見の言いなりになる事なく、そこからまた考えた感じが見てとれました。

どこがどう変わったか、気になる方は、監督に聞く機会があったら聞いてみてください。
(直近では、7/19(水)に同映画祭で上映後に質問の時間があるので、その機会にでも)

上映中、通路を挟んで隣の席の方が、映画を観て泣いていました。

僕も、自分で制作した映画『RICE BALL』が上映された際、「泣いた」という方に話し掛けていただく機会が多々あり、その時は、「映画で伝えたい事がちょっとでも伝わったのかな。だとしたら嬉しいな」と思っていましたが、それを第三者として目にした時に思ったのが、

「ああ、これは幸せな作品だな」

という事でした。

これは、単純にその作品で泣く人が出るほど「感動する作品」が1番凄い、という話ではなくて、ホラーを作ったら「怖かった」と言ってもらえたり、コメディを作ったら「笑った」と言ってもらえたり、その逆に、「ホラーだけどちょっと笑えた」とか、「コメディだけどどこか泣けてきた」とか、気味の悪い映画を作って「どう言葉にしたらいいか難しいけど、でも目が離せなくて最後まで観ちゃった」とか、要は、その作品が観た人の琴線に触れ、映画を楽しみ、考え、感じるものがあった作品になれたという事です。

観てくれるだけでもありがたいのに、そういう作品になれたという事は、幸せな事だなぁと。

「これ何の時間だったの? 俺の時間を返してくんない?」というのが1番申し訳ない。

正直、編集で何度も自分の作品を観ていると、自分でおもしろいのかどうなのか分からなくなってきます。
これを映画と言っていいのか、とすら思うようになってきます。

でもそれが、たった一人でも、ある人にとっては、何か持ち帰るものがある「映画」になれた事は、こちらとしてもとても嬉しい事なのです。

この映画で何を観て、何を感じて、どこを面白いと感じるかは、もちろん個人の自由です。

その中で、1人でも多く、その人にとっての「映画」になれたら、微力ながらこの映画に関わった者として嬉しい事です。

初期の脚本から関わっていたのもあって、なかなか素直に作品に集中して観れない部分もありますが、そこに生きる人の息遣いを捉えようとしている姿勢は変わらず感じます。

宇宙で戦争もしないし、手からクモの糸も出ませんし、世界を大きく変える出来事は起きませんけど、そんなちょっと隣にいそうな人達が繕い合う、街の片隅で起こる出来事を観ていただけたら。


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