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Twitterを見ていたら、素組論争についての言及があって、イヤな気持ちになったのだが、ふと、これは「ポエム」論争に近いのではないか、と気が付いた

積みプラが30個あって、午後から作りたかったけど、元気が出なくてYouTubeやTwitterを見たりしてダラダラと過ごした土曜日。明日は本気を出す(希望)。

Twitterを見ていたら、素組論争についての言及があって、イヤな気持ちになったのだが、ふと、これは「ポエム」論争に近いのではないか、と気が付いた。

私は20代まで詩を書いて、ネットに投稿していた。そこの詩のサイトで、ポエムは詩と呼べない、という論争みたいなものがあって、現代詩でなければ詩ではない、という人達が、いわゆる「ポエム」を書いている詩人達を揶揄したり批判していた。
ここでの「ポエム」とは、女学生が夜な夜な1人、部屋でこっそりとノートや日記に書き綴る詩のようなもの、という意味合いだと思うのだが、つまり「ポエム」とは、詩集を読まず、詩論も読まず、詩に無知な人達が書いた素朴な詩を指す。素朴な詩、とは、詩的に創意工夫が見られない、詩においては主に比喩表現が乏しい詩になるのだが、プラモデルで言えば、キットを組んだだけの「素組」に相当するのではないだろうか。

現代詩とは、詩集を読み、詩論も読み、詩を勉強して理解しないと書けないものらしい。つまり、インテリじゃないと現代詩は書けないようだ。構造としては、インテリが無知な女学生の詩を揶揄したり批判したりしているわけで、ガンプラのパチ組を「あんなのは作品と呼べない」「あんなのは模型制作と呼べない」、つまり、全塗装をしたり、キットを改造しないと作品でも模型作りでもない、というのと、ポエム論争の何が違うのか、私にはイマイチよく分からない。

ポエムを日本語にすると詩である。現代詩だって詩である。私からしたら、どちらも詩である。
ガンプラだって、パチ組だろうが、ガンプラに違いない。

そもそもが「プラモデルを作れば作品になるのだろうか?」という疑問が私にはある。私は音楽制作を行っている。それで言えば、説明書通りに作ればいいプラモデルは音ゲーに近い。
私の音楽制作は打ち込みである。指示通りに作ればいい、というものではなく、創作と言っていいだろう。そもそもが、作曲するのに設計図なんて用意されていない。

音楽は芸術と言っていいだろう。はたしてプラモデルは芸術で、プラモデル作りは創作なのだろうか。
私にとって、プラモデルはホビーであり、芸術でない方が好ましい。たかだかホビーだからいいのであって、高尚なもの、堅苦しいものであって欲しくない。

リガードを作り終えて、タイミングが合ったので、マクロスモデラーズコンテストに応募してみた。
例えば、この私が作ったリガードは「作品」なのだろうか?
あるいは「作品」とは呼べないのであろうか?
そんなこと、私はまったく興味がなくて、ただ、楽しくプラモデルを作っただけのことである。別にコンテスト用に作ったわけでもない。リガードを作り終えて、マクロスのプラモデルコンテストがあることを思い出したから、手軽だし応募してみただけのことで、私の「作品」で賞を取れるなんてまったく考えていない。

1つ言えることは、私が作ったリガードのようなセンスの「作品」はほとんどないだろうな、そういう意味では唯一無二と言っても差し支えないかも知れない。

プラモの重力に惹かれた人達がいて、いつの時代でも、ネットの涙を見ないといけないのか。プラモデルはホビーだし、パチ組だってプラモデル作りであることに違いはないだろう。全塗装しないとダメだ、とか、改造しないと作品と呼べない、とか、そんなことを誰かに言わないとプラモデル作りを楽しめないのだろうか。

いや、それは啓蒙なんだ、無知な愚民どもにわざわざ教えてあげているんだ、というのなら、私から言わせてもらえば、ガンプラを作るのをやめればいい。

古の大和である

昔の大和を作って、モーターを積ませて、お風呂場でブンドドしたらいいじゃないか。モーターで走る!

まぁ、ガンプラなら、旧キットを改造して昔ながらの模型作りを当時のキットを使って味わえばいい。そこにはきっと、侘び寂びがあることだろう。

そもそもが、プラモデルというのが甘えではないのか?
歴史に倣えば、木製の模型を作ってこそのモデラーだろう。だから、まずは木を削ろうではないか。

私は当時から、私の詩はポエムでいい、と思っていたし、金子みすゞの詩が今でも好きだし、いわゆるインテリが嫌いなので、プラモデルで構わない。

最近作ったプラモデル達

全塗装派なるものがあるとして、私は一応、全塗装しているつもりなのだが、ランナー塗りなので、右のポケプラのように塗り忘れが出てくる。そういう時は、組み立ててから塗り直したり、塗り直さなかったりするのだが、今回は成形色のままにした。
左の飛行機のタイヤを紙ヤスリでヤスって、部分的に成形色に戻してみた。これも成形色のままで完成である。
全塗装派なる人達はきっと、セザンヌの絵が分からない人達なのだろう。

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