いまひとたびのたらこスパゲッティ
間違いなく美味しいし、思い出すだけでうっとりするし、大好物…なのに滅多に食べないもの。理由はさまざまだけど、とはいえ断定的な何かがあるわけでもない。そして普段、そのことすら忘れている。しかし思い出したらもう食べずにはいられない…という食べ物が私はいくつかある。
最近食べたたらこスパゲッティが打ちのめされるほど美味しくて、でもたらこスパゲッティもまたそういった食べ物のうちのひとつだった。
先にお伝えしておく。たらこパスタと称したってなんの問題もないがここではたらこスパゲッティと呼称して行く。なぜならたらこスパゲッティはイタリアンというジャンルで食される麺類を「スパゲッティ」と呼んでいた頃、まだ「パスタ」という言葉を知る前に出会ってしまったがためになかなかたらこ「スパゲッティ」という印象が忘れられないからだ。不思議だ。パスタの方が短くて覚えやすいのに、スパゲッティというのは原体験なのだ。
話を戻そう。
思い出したようにたらこスパゲッティを食べた経緯としては、遡ることそれよりもほんの数日前、バター風味の焼き海苔という人類の叡智の結晶のようなお菓子をいただいたことが発端である。
バター風味の焼き海苔というものはすごいのだ。バターの香りのするほんのり塩味の海苔というものは。美味い。美味すぎる。思わず原材料を見たらバターは1ミリも使われてないどころか「植物油脂」が先頭に来ていて笑っちゃったが、多分アレはアレだ、パリッとした食感を優先させるとこうなるのだ。素晴らしい仕事だった。
そしてその風味は想起させたのだ。バターと海苔がうまいこと主役を引き立てるが故に圧倒的旨さを誇る、たらこスパゲッティという奇跡の存在を…気がついたら最後、居ても立っても居られなくなってしまった。
ご家庭たらこスパゲッティの構成要素は極めてシンプルだ。スパゲッティ乾麺、バター、たらこ、刻み海苔。大事なのは明太子ではなくたらこであることだ。辛味ではなく、魚卵の旨味をぎゅうぎゅうに吸い込んだ塩味がうまいのだ。というわけでスーパーでたらこを買った。こういう衝動にかられるたび、毎度食べたい!と思ったときに購入や外食で夢を叶えることが本当にしやすくて、しかしここまでアクセスが容易なことを当たり前と思ってはいけないなと思う。感謝しかない。
たっぷりの湯を鍋に沸かす。グラグラ、を超えてボルボル…くらい煮立ったら適当に塩を入れる。瞬間、細かい細かい泡がフワワッ…と立ち上って美しい。麺を茹でてタイマーをセットしたら、空いてるガラスのボウルに無塩バターをひとかけ入れて、なんとなくソワソワしながら仕舞っている刻み海苔を出したり食器を片付けたりする。蛇足だが、たらこは予めのセットはしないのだ。固まって白くなってしまうから、バターが馴染んだ頃にお出まし…と洒落込んでいただく。
かくして麺が茹で上がり、水道から水を出しつつシンクの上でざるにドワッとあける。顔に目一杯小麦の香りの蒸気を浴びるのもまたオツなものだ。そして熱々の麺を先ほどバターを入れたボウルにドバッと入れ、グルングルンとかき混ぜる。バターと絡んだ麺はしっとりツヤツヤで美しい。小麦とバターはあらゆる場所で近くにいるが、最初に巡り会ったとき居合わせた人はどんな風に感じたんだろうと思うほど良い組み合わせだなと思う。その美しい麺に、待ってましたと言わんばかりにたらこを和えるのだ。袋をちょいと破って、多いかな?と思うくらいの量、具体的には今回は2人前で3腹使ったが、そのくらいを馴染ませる。行き渡ったなと思ったらお皿に分けて載せる。ボウルに残ったバターとたらこもゴムベラで余さずサーブするのが我が家流だ。盛り付けの仕上げは刻み海苔、これが、大事。
そのくらいのスピード感で瞬間最大風速のように訪れた食欲に応えたときの、あの恍惚…。思わず「…美味しい…ッ」と唸ってしまった。バターとたらこと海苔、それらを中和させながら融合を完成させるのは小麦薫るスパゲッティ。三位ならぬ四位一体と言って過言ではないとさえ思う。幼少の折から知り尽くして愛し尽くして、それでもこんなにも美味しい…なんというかこれは、あれだ、ひとつの何かの到達点だ。家庭料理の、とでも言えばいいのだろうか。味、工程共に再現性が高く、それでいて感動的に美味しい。
しかしそれでも、日常の忙しなさや新しいものへの好奇心に紛れてしまっていた。しかしこのたび新たに刻み直されたのだと思う。なぜならつい先程夫が「あぁ、たらこスパゲッティ、また食べたいなぁ…」と口走り、私もまた同じような気持ちでいるからだ。
たらこスパゲッティ、大好き。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?