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第29話:真・ドーパミンデトックス再開!

さて、今日からドーパミンデトックスをがっしりと続けていきたいわけなのだが、先日の出来事(ドーパミンデトックス開始日からゲームを12時間ぶっ通しでプレイ)から、いかに自分の考えが甘かったのかがわかった。

ちなみに、自分との約束を破ってまでゲームをしたにも関わらず、これといって得たものは何もなく、残ったのは深い後悔と自己嫌悪のみだ。

ゲームをすることで得られるメリットみたいなものは、あるにはあるし、それを言い訳にこれまで幾度となく、一度やめると決めたゲームに手を出してきた。

しかしゲームに限らず、これからの人生で重宝されるような本当に大切でかけがいのないものは、全てをかける覚悟を持って、根気強く何百時間も何千時間も一生懸命取り組まなければ手に入らないんだろうなとしみじみ思った。

少なくとも、中途半端な気持ちのまま現実逃避のためにゲームをしても、時間の無駄にしかならないということが今回の経験を通して確信に変わった。

だから、プロを目指すでもない限り、今後ゲームをするにあたっては何も言い訳できない。

そもそもこれまでの日記で、「ちょっとならいいか…」が一番の敵であり、決して油断をしてはいけないよと、あれほど口を酸っぱくして言ってきたのにも関わらずこの有様なのだから、自分は二重人格なんじゃないかと本気で疑ってしまった。

もしこれがゲームではなく、Youtubeやポルノに手を出していた場合、この日記が終わっていた可能性は極めて高く、本当に危なかった…。

さて、本題のなぜ今回ゲームに手を出してしまったのかというところなのだが、「英語学習に対するモチベーション不足」が一つの理由として考えられる。

では、英語学習に対するモチベーション不足がどのようにゲームに繋がったのかというと、次のような流れだ。

英語学習をしたいけどやる気が起きない→そんなんじゃダメだと無理やり学習に取り掛かる→どっと疲労感が押し寄せ判断力が低下する→苦難を乗り越えた自分が何か凄く良いことをしたかのような気分になる→何か自分にご褒美があってもバチは当たらないだろうという気持ちになる→ゲームをちょっとするくらいならいいかと考える→ドーパミンデトックス失敗

このように「モラル・ライセンシング(良いことをしたという経験によって自己評価が上がり、その後、倫理的に疑わしい行動や望ましくない行動をとることが正当化される状態)」に陥っていたことだけは確かだ。

つまり、もしもポルノ閲覧のように、英語学習に対するモチベーションが高ければ(あるいは取り組む理由が明確だったならば)、ポルノを見た後に「自分は良いことをした」なんて思う人がいないのと同じで、英語の学習をしたことが「良いこと」だという認識もなく、そうであれば当然その後に「少しくらい悪いことをしても…」みたいな考えは生まれず、ゲームをやろうなんて気にはならなかったのではないかという推理だ。

…少し強引に感じただろうか?

とはいえそれは、別にそこまで重要なことではない。

その推理が正解だろうがそうじゃなかろうが、とにかく自分の場合、英単語帳を開くのが億劫でたまらないのだ。

それは、英語学習を続ける上で由々しき問題であることに変わりはない。

その結果、英語学習は自分の「本当にやりたいこと」ではないんじゃないか?と散々悩んだ。

自分でやると決めておいておかしな話だが、そもそもやりたい理由が自分の中にはないんじゃないかと自問自答を繰り返し、最終的に、いっそ英語学習はここできっぱりやめてしまえばいいじゃないか!という結論に至った。

のだが、そこでふと、今まで自分がどれだけ「これは本当にやりたいことではない」を言い訳に、中途半端に物事を放り出してきたのかが頭をよぎった。

もちろんこうやって、次から次へと、自分の「本当にやりたいこと」が見つかるまで、あれをやってこれをやってと取り組む対象を変えていくのも一つの手だろう。

実際、これまで何年もそれが正しいと思ってそうしてきた。

けれどなんだか、今ここで英語学習から逃げてしまったら「本当にやりたいこと」なんて見つけられるわけがないのではないかという、強い違和感というか直感みたいなものがあった。

うまく言語化できないのだが、、、

すぐに言い訳を作り、挑戦する前に逃げ出す。何かに本気で向き合う根性がなく、その場しのぎで生きているから一貫性なんて皆無で、自分との約束すら破るほど意志が弱く、自分の目標や夢にすら誠実になれない。その無気力さは、努力し続ける人間たちと比べれば、ただの逃げ腰でしかなく、言い訳や楽な道ばかり探して、責任から逃げ続けているだけ。そんなことを続けている限り、何も得られないどころか自分すら信じられない存在になってしまうのではないか?そんなんでこれから先、自分のことを誇れるのか?そんな自分に「本当にやりたいこと」を見つける資格なんてあるのか?と誰かに問いかけられている気がしたのだ。

そういう意味では、英語学習を通して、ただ単に英語を学ぶだけじゃなく、そんな弱い自分と向き合う必要があるのかもしれないと感じた。

なので結果はどうであれ、とにかくがむしゃらに、余計なことを考えずに英語学習に取り組み続けようという覚悟が今日、改めて決まった。

ついでに、なりふり構わず英語学習に集中することでドーパミンデトックスも成功させようという魂胆だ。

それではまた明日!




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