社内政治とプロセス評価〇〇喰らえ
「こんなに頑張っているのに評価されない」などとボヤき、「あの人よりもやっているのに給与が低い」と愚痴を言う人たち。
私は「自己評価が高いやつだな」「”こんなに”が大したことなくない?」と思っていた。
自分がメンバークラスのときも、マネジメントクラスのときも常にそう思っていた。そして、なぜ自己評価との乖離が起きるのかを考えていた。
5年ほど前だろうか、この「伸びる会社はこれをやらない!」を読んだのは。
プロセス評価は義務教育年代まで
いい大人が「こんなに頑張っているのに」と恥ずかしげもなく言えるものなのか。褒められて伸びるんです、と20歳を超えた"大人"がよくも言えたものだ。いや、自分で伸びろよ。成長を他人に委ねるなよ。
あとまた、その頑張り"は求められたものか?認められないなら方向性が違っているのではないか。または評価に値しないくらい足りていないのではないか。
幼児期から中学生までは、それぞれの特性を伸ばしたり新たな体験を重ねる時期だから、「ここまでできたね。すごーい。次はここまでやってみよう。」とプロセスを評価するのは効果があるだろう。
30にも40にもなって、「ここまでやりました」で評価してもらおうってのが甘くないか。達成はここまでと示された上で、「忙しくて」「別の仕事が入って」「でもここまではやりました」を評価できるわけないだろう。
飲食店で注文して、「いやーいそがしかったんで少ないですが。」とメニューより少ない品数を出されて「あー忙しかったのにここまで作ってくれたのね、ありがとうございます。」となるか?
社内政治は生産性を損なう
当時、自分は役員だったこともあり、会社全体に蔓延する「ルサンチマン根性」をどうにかできないかと考えていた。かつ、感情論が先走る経営者に嫌気がさしていた頃でもあった。
経営陣やマネージャーに対し、「自分がいかに頑張っているか」をアピールする層、「自分はいかに上司に評価されていないか」を訴える層、粛々と自らのミッションを遂行する層など様々であった。
普遍性があるかは個人の経験のため不明だが、そこでは少なくとも「声の大きいヤツ」が幅を利かせ、真面目に責務を果たしている者は「アピールが足りない」とされていた。
また、ある年配のマネージャーは部下の失敗をかばうのではなく、吊し上げた。そうすることで自らの管理責任を問われないよう矛先を変えているように思えた。
上長を飛び越えて社長に直談判する人も何人かいた。そしてそれを「自分を頼ってくれてる」と勘違いするのにも疑問符がついた。
会社はチームであり、足を引っ張るよりも問題解決に一丸となって取り組むことが必要、という正論が通らず、社長や経営陣に取り入ることがすべてという社内政治に腐心する輩が一定数存在していた。
社内政治に時間を割き、本来の業務はおざなりとなる。その結果部内でのミスが起きる。しかしマネージャーは責任を当人にのみ問う。
ベンチャーを謳うわりに年功序列を暗に強いてくる経営者の企業において、たった50人前後だとしても、いきなり社員全体を変えることなんてできない。ましてや他の経営陣の考え方なんてムリ。少なくとも私は。
方針の徹底と社内への宣言
自部門には以下(画像)の考えを周知徹底し、銀行を招いて行う決算報告兼方針発表会にて社内全体にも宣言した。
間接的利益貢献を考える
プロ意識を持って業務にあたる
プロセス評価はしない
モチベーションがあがらない、というのは業務に関係ない
責任は自分が負うので、目的遂行を最優先する
これは自部署宛だけでなく、間接的に経営陣を含めたリーダー格への提言でもあった。社内政治に時間を割き、責任を部下に押し付け、進捗の遅れを他責するような、そんな輩に向けて。
これは自分が役員となり、離脱するまでやり続けた。
自部門の増員面接の際も、この方針を伝えたうえで採用した。
では、その成果があったかと言われると、残念ながら自部署内にしか効果はなかった。
結局、経営陣の組織に対する考え方次第
この本の考え方は、以下のような経営陣やマネージャーには合わない。
自分が常に一番頼られたい(結局俺が一番)←権限あるから
ルールは決めるが自分は例外(だって経営者だぞ)
理念の浸透が第一(ぼくのかんがえたさいきょうのかいしゃ)
できない社員を任された自分は被害者(俺が採用したわけじゃない)
会社は気の合う仲間の集まり(賛同できなきゃ去れ)
持論であるが、私は採用サイトやコーポレートサイトなどに、会社の雰囲気を説明することばとして「アットホーム」「経営陣や上司との距離が近いから何でも相談できる」「できるまで一緒に取り組む」などがある会社は成長意欲のある者にとっては避けるべきと考えている。
上記をアピールポイントだと思っている会社ということは、"うえのひとたち”に手の指紋が消えるくらい揉み手ゴマすりするなら、いい待遇のチャンスありだよ、でもそれができないなら冷や飯喰らっとけと言っているものとみなす。
会社はサークルでも家族でもない。利益追求を目的として、それぞれの能力を活かし、企業として成果を出し、報酬を得る場である。
まぁこういうことを常に表明していたら、ドライだ冷血だとよく言われた。結局どろっどろした感情論に相対するのが許容ができないレベルまでいったので、役員退任した。
いただいたことば
以下、この方針についてきてくれた部下たちからの言葉などをいくつか取り上げて終わりとしたい。
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